「………? いぅっ!?」

 首が痛かった。それから腕を上げようとして、なぜか体中に激痛が走る。しばらくその痛みに耐えたあと、同じ轍を踏まないようにゆっくりと状況確認する。
 どうやら勉強の途中で机に突っ伏したまま寝ていたようだった。学校の机に突っ伏して寝てしまったときも思うが、この体勢で長時間寝るのはきっと体に良くない。この体勢で4時間寝るより、ちゃんとベッドで1時間寝た方が絶対休眠になる。し、血行が悪くなる影響か腕が痛くなったり足がいたくなったり、とにかくいいことなんてひとつもない。
 自分の腕の下でぐちゃぐちゃになっている数学のプリントのしわを延ばしつつ、机上のデジタル時計に目をやると午前3時半過ぎ。記憶があるのは10時くらいまでだったから、5時間近く寝ていたことになる。明日には大事な予定があるというのに、課題は終わってないわ下手な睡眠とるわで過去の自分を殴りたい気持ちになった。
 この課題はもう、終わらないだろうな。
 そう思いながら、スタンドの電気を消して、明日に備えて今度こそベッドにもぐりこむ。一瞬寝坊を危惧するが、アラームは一応毎日にセットしてあるので問題ないだろう。
 名前は肩まで布団を引き上げると、そのままそっと瞳を閉じる。



 ヴーッヴーッという音を耳が拾い上げる。
 もぞもぞと布団から手を伸ばすと、枕元においてあった携帯がふるえていた。たぶん一つ目のアラームだと思って、一度真ん中のボタンを押してから解除しようと電源ボタンを押す。ピタッととまる。
 しかしこのままにするとスヌーズが起動して3分ごとになり続けるから、携帯を操作してすべての設定をOFFにしなくては。名前は重い瞼をあけて、携帯の画面を改めて見つめる。

「………へ」

 携帯がマナーモードのままであった。そういえばアラームは音量最大で音楽が鳴るようにしていたのに、バイブだけってその時点でおかしかったのだ。
 名前はそのことにきづくべきだった。そして名前の携帯ではアラーム機能はマナーモードに負けてしまうため、マナーモードがONになっているとアラームは起動しないはず。
 では、さっきのは?

「あっ………!」

 画面に表示されてる時間は午前10時半。約束の時間から30分も経ってしまっている。
 まさか。
 そう思っておそるおそる着信履歴を開いてみると、

「島崎先輩、だっ」

 さっきアラームだと思って切ってしまったのは、今日約束していた島崎慎吾その人からの着信だった。しかも名前が寝ぼけ眼でいつも通りに操作していたのなら、一度電話に出てからすぐに切ったことになる。
 遅刻した上にかかってきた電話ガチャ切りって、救いようがないほど最低じゃない!?
 名前が片手をついて布団から這い出ようとしたとき、ヴーッヴーッとふたたび携帯がふるえ始めた。
 一瞬とるべきかとらざるべきか思案してしまって、いまだに逃げ道を探してる自分にため息をつきながら急いで通話ボタンを押す。

「おはようございます、すいません今起きました」

「だろーな。声が寝起きすぎて笑える」

 取り繕っても仕方がないので正直に述べると、ははは、と笑い声が帰ってくる。ほっとした。どうやら怒ってはいないようである。

「えっと…どうしましょう、先輩今どこですか?」

 電話をスピーカーに切り替えて、もぞもぞとタンスをあさる。
 名前はもともと準備にあまり時間がかかるタイプではなかったので、服を着替えて顔を洗って髪の毛をブローすればすぐにでも家を出られる。目算15分。ふつう女子高生だったら化粧だとかでもっと時間かかるんだろうな、と考えて、その理想に近づいていない自分という現実にちょっと落ち込んだ。

「今? 家の前だけど」

 一瞬なにも考えられなくなって、ぴた、と名前は作業を止めた。
 なんてことだ、島崎が普段とまったく変わらない会話をしているから、てっきり怒っていないかと思っていた。が、もうすでに憤慨して家に帰ってしまったらしい。なんてことだ。

「あ…わっ、わたし、その、せっかくの休みを、」

 野球部の島崎にとっては貴重な休みを、自分と交わした何気ない約束のために割いてくれたのに。なのに、自分は自分の都合で夜更かしをして、あの島崎を待ちぼうけさせた上、未だにその約束を実行してもらえると思っていた。
 なんて自分勝手な女だ。自分自身を心の中で罵る。

「いーから早く準備しろって」

「………え?」

「? 家の前で待ってるんだけど、意味分かってる?」

 名前は一瞬いってる意味がわからなくて、そのあと理解して、飛び上がり、というよりベッドから跳ね上がり、階段をかけ降りた。

「ばっ、もうっ、えっ、ちょっ、」

 ばか、もう、えっと、ちょっとまってどういうことなの!確かに約束はしてたけど、家にくるってどういうことなの!私が遅刻したからなんだけど!っていうかなんで住所しってるの!?
 という意味を含んだ言葉を名前はいいたかったのに、次々と出てきてうまく日本語にならない。
 島崎は島崎で「髪の毛ぐっちゃぐちゃだけど、まだ時間かかりそう?」とポケットに手を突っ込んで飄々と立っている。
 くそう、絵になる。
 ドアを片手であけてまだ洗ってもいない顔で口を半開きにして髪の毛ぐっちゃぐちゃでサンダルひっかけてる自分とは大違いである。
 ため息をつきたくなった衝動をこらえようとしたとき、隣の家の玄関の鍵がガチャリと開く音がした。

「あっ」

 それを聞いた名前は、とっさに玄関から一歩でて島崎の腕を取り、そのまま家へと引き込んでしまった。
 一瞬面食らったような顔をした島崎の顔をきっと名前は忘れない。

「………」

「…すみません、いろいろ、すみません………本当に」

 玄関の土端に島崎と二人で立っている。名前は、寝坊した申し訳なさと、とっさのこととはいえ強引に家へひっぱりこんでしまった申し訳なさとでいっぱいいっぱいだった。袖を掴んだまま、顔を上げることができない。なんて説明したものか。
 隣の家から、幼なじみの「いってきます」という声が聞こえて、島崎が「ああ」と低く声を漏らした。

「隣、こーちゃん家なんだ」

「その呼び方はもう…ハイ、そうです…」

 島崎は、名前が何度いっても名前の幼なじみである光多の愛称を改めてくれなかった。さすがに本人にはいったりしていないだろうが、名前がなんとなく歯がゆい気持ちになるので聞く度に制しているが、今回はあまり強くいえない状況だと判断して引き下がる。

「みられちゃマズイ、って思ったの?」

「…まあ、そりゃ、…」

 少し焦りすぎたせいで目眩がした。手の甲を額にあててため息をつく。
 そしてふと島崎の方へと視線をあげると、光多の家がある方へと視線を向けていた。名前は、その表情からなにを考えているのかまったく読みとれなくて、首を傾げる。

「ふーん…うん、上出来上出来。で、どーする?いつまで手握ってる?」

 島崎の右手でなぜかもふもふとなでられながら、言われた言葉を飲み込んで、ふと自分の右手をみるといつのまにか島崎の手を握り込んでいた。腕を取って、袖を掴んで、いつのまに手を握っていたことにそこで気づいた名前は「うおああっ」と声をあげながら飛び退く。

「うおああって…」

 そう呆れたように首の後ろに手を回しながら苦笑いする島崎から目をそらしながら、名前は玄関へとあがった。
 せっかく一階まで降りてきたんだがら、顔洗って来ちゃおう。
 そう判断した名前は、洗面所のほうへ向かった。

「私ちょっと顔洗ってくるので目をつむって部屋までいっててください。階段上がって右側ふたつめの扉です」

「…簡単に男あげちゃって平気なわけ?」

 タオルタオル、と洗面所で棚の上にむかってのばしていた手を止めて島崎の声がしたほうをみれば、洗面所の入り口で島崎がドア枠に片手を預けて名前の方をのぞき込んでいる。
 名前はいわれた言葉を飲み込んで、かみ砕いて、理解して、返答しようとした。

「………、………、………?」

「そんな考えなきゃわかんないことかなぁ!?」

 男島崎慎吾、若干涙目である。



「えーとあとバッグとお財布と、ケータイ…」

 本来なら前日のうちに用意しておくべきだった必要なものをかき集めようと部屋の中を見回していると、ふと、島崎が机の上をじーっと見つめているのが目に止まる。
 不思議に思って、近づいてみる。

「何みてるんですか? 写真?」

 デスクの上の透明なマットの下には、今までの学校生活で撮ってきた写真がひかれている。小学校の林間学校だとか、夏休みの合宿だとか、中学校の修学旅行だとか、体育祭の時のクラス写真とか。

「こーちゃんとの写真はないの?」

「だからその呼び方やめてくださってば。ふたりの写真はないです、けど。小6の時同じクラスだったから、そっちの集合写真にはいますよ。どこだったかなー、たしか会津いったんです。歴史の下町、鶴ヶ城!あげまんじゅうがおいしかった」

「結局食べ物に落ち着くのかよ」

 もっかいあげまんじゅう食べたいなあ、と思いながら、一緒になって机の上をみる。普段は教科書だとか参考書だとかが散乱していてまじまじとみようと思わないけれど、今日は昨日課題をやっていたこともあって比較的片づいている。
 あれ、そういえば課題、どこやったんだろう。
 そう思って少し見回すと、そのプリント束は島崎が手に持っていた。

「あの、先輩、用意できました。たぶんわすれものないです」

「んー、そっか。でも今日はもういいかな」

 へ、と間の抜けた声をだした名前に、ほい、と島崎が手渡してきたものは、

「シャーペン…?」

「課題終わってないんだろ? 買い物はまた今度でいーじゃん、名前ちゃんが寝坊しなかった日で」

 「オレも手伝ってあげるし」その言葉に反論しようとして、そんな資格自分にはないと気づき、でも言い返したい、という一連の葛藤を終えたあと島崎を見るとニヤニヤしている。
 コイツ…楽しんでやがる…!
 心の中でメラメラしながら、シャーペンを強く握り込んだ。
 これならなんとか課題は終わりそう、と名前はうれしいんだか未だに課題のことを考えてる自分に呆れてるんだかよくわからないため息をついて、のこしてあった課題に向かうため、椅子に腰掛けた。

120814 織間