―――あの、これ、やってほしいんですけど。できますか?
なまえから、おおよそなまえがもっていなさそうな雑誌の1ページの写真が添付されたメールが来たのは、朝練が終わったあとのことだった。
そこに書かれているのはなんの変哲もないポニーテールだったから女子高生ならできそうなものだが、普段なまえの髪型が変わったところを見たことがないのを思いだし、たしかになまえじゃあ難しいかと一人納得する。
―――今朝練終わった。から、昼休みでいい?
カチカチカチと携帯を操作してそっとスライドを閉じる。送信完了と表示されたその携帯を、すこしの間見つめてから、ブレザーのポケットに滑り込ませた。まあ、そんなすぐ返信がくるとは思っていないし。
「なーに、慎吾、ニヤニヤしちゃってぇ。新しい彼女でもできたの?」
「山ちゃんはほんとにそっち方面しかオレに期待してこないよね…」
隣で着替えていた、瞳が細いせいで表情が読みづらい同級生が寄せてきた顔を押し返しながら言う。「ニヤニヤなんてしてないし」
「いーや、してた、してたよいやらしく! まったくこれだからいやら慎吾は」
【まったく】とか【これだから】とか言われる筋合いの検討がつかなかったが、そんなの今に始まったことではないので放っておくことにする。山ノ井のいうことにいちいちつっかかってたら疲れるのはこっちだということは、桐青学園野球部一同わかりきっていることだった。
昼休みのことである。2年になってからの島崎は、昼食はほぼ野球部で食べるようになっていた。もうすぐ部活は自分たち中心に回るということもあるし、3年との連携やその他諸々の理由でそちらのほうがいろいろ都合がいいし、なにより同じタイムスケジュールで動いているから都合がつきやすい。確認事項とかも、次期キャプテン候補である河合和己が申告してくれるので、そういう意味でも都合がいい。
そんな面々でひとつの教室にあつまり(部員数の多寡からほとんど河合の教室か島崎の教室かの二択)、最初の10分でほとんどたいらげて残りの30分くらいはその場で雑談したり次の授業の準備をしたり、この居心地のいい空間が島崎の大変好みである。
今日もそんな毎日に倣って、食べ終わった弁当箱を包み終えパックのお茶を窓際で日光に当たりながらすすっていたときだった。
「なんかちっちゃいのがいる」
河合と本山はそばにいるものの5限の数学の予習をしている。ちっちゃいのがいる、とつぶやいた山ノ井の方をみれば、呼んでいた雑誌っぽいの(あえて言及しない)から顔をあげて、教室の入り口の方をみていた。
ちっちゃいの?と顔をあげて、
「あ、なまえ」やっべ、忘れてた。「ちょっといってくる」
「え!?なに、慎吾のなに!?」
山ノ井があげた声につられて河合が少し慎吾を横目でみるが、その先にいるなまえをみて、ああいつものことかと視線を下す。たぶん河合が思っている【いつものこと】とは事情も状況も違うものだが、わざわざ訂正する必要も無いと思いそのままドアの方へと向かった。
「島崎先輩!メールしたのに!」
なまえの頬は心なしか紅潮していた。それはこの2年の階までひとりで来たからかもしれないし、すっぽかされていた島崎に対する怒りからくるものかもしれない。どっちにしろなまえの口調には責めるような色が含まれていたので、島崎はあっさりと自分の非を認めて謝った。
「もーいいですけどっ! 協力していただいているのはこっちですし…」
子供さながら拗ねているなまえが少しおもしろくなって頭でも撫でてやるか、いや撫でたらもっと拗ねそうだな…とか思案していたときだった。
「なまえチャンっていうの? へえー…なんか意外!」
「う、わ、…へ?」
ずい、と後ろにいた山ノ井が入り口でバリケードになっていた島崎を避けてなまえの方へ身を乗り出し、それになまえがほぼ反射的にすいっと後ろへ一歩下がる。すごくいやな予感がする。
「おいやめろって、山ちゃん」
そんな静止もむなしく、山ノ井はさらにずずいっとなまえのほうへと身を乗り出して、その表情と出で立ちを、上から下までまるで品定めするように眺めた。
なまえは戦々恐々と自分よりかなり身長の高い先輩を見上げている。
「こーんな純情そうな女の子にまで手出しちゃだめだと思うよ、オレは」
にんまり、そういう笑い方で島崎の方へと振り返った山ノ井がそういった。なまえの瞳がわずかに見開かれるのをみて、おいふざけんな俺はいままでいい先輩でいたしこれからもいい先輩でいたいんだからヤメロ。
島崎は続けて考える。いや落ち着け。相手は山チャンで、目の前にはなまえがいる。どうにか山チャンをやりすごしてなまえとの用事を済ませてしまった方がいい気がする。
「なまえ、どっか別の場所に」
「し! 島崎先輩はまだなんも手出してません!」
ざわっ、と二年の廊下が騒然とした。一瞬にして。そもそも雰囲気の違いやら学年カラーで縁取られている上履きやらでなまえが1年だということは周りのほとんどが気づいていて、その1年がこんなところにいるなんて珍しいなー、みたいな興味を大いに含む視線がちらちらと寄越されていたのだ。にも関わらず、この後輩は大声でなんつーことを!
「ちょ、おいなまえ、まだってなんだよまだって!」
「………」
山ノ井はぽかんと固まっている。なまえはなぜか自分超いいこといった勇気だした!みたいな表情つまりはドヤ顔で山ちゃんを見上げている。ぴく、と山ノ井の肩が動いたときなにをしようとしているのか島崎は察知したが、止めにはいるには遅すぎた。
完全になまえの目の前にまわった山ノ井の腕が大きく広げられて、
「かっわいーな! コレ!」思い切り抱きついた。
「んぎぇあっ!?」
「は!? んぎぇあ つった!?」思わず反復してしまった。現役女子高生が抱きつかれたときにあげる声ってそんなんだったっけ、なんなんだよその奇声は!という意図の突っ込みをせずにはいられなかった。だから、山ノ井の腕の中で必死にもがいているなまえを救い出すのが少し遅れてしまう。
島崎はあわあわと動いているなまえの右手をひっばりながら、山ノ井の肩を軽く押した。
「ちょお、山ちゃんまじやめてって、なまえそういうの馴れてないんだから」
「えー」唇を尖らせながら、しぶしぶなまえを解放する。「いいなあ、俺もこういうの欲しいなあ」
「んな、なな、なにお」
なまえは壊れたラジカセのように言葉を紡ぎながら、顔に冷や汗を浮かべ頬を赤くして青くするという器用なことをしている。
「へ、変態だわ!?」
「落ち着けなまえ」
言っていることはまあまあ近からずも遠からずであるが、仮にも後輩が先輩に指先を向けて発する言葉ではない。まあ、語尾がなぜか疑問系になっているところから、なまえが正常な精神状態にいるとは思えないし、山ノ井も島崎も部外でならそれほど先輩後輩といった関係には厳しくないほうであった。
「とりあえずいくぞ、ほら」周りの視線も相変わらず痛いし、島崎はこの場を脱することを優先した。「じゃね、山ちゃん。なまえ、挨拶」
「あっなに、連れてっちゃうの? じゃあね、なまえちゃーん」
ひらひらと手を振っている山ノ井に、やや放心状態にありながらもひらひらと手を振り返しているあたり、なまえのダメージの大きさが伺えてしまって、心の中で軽く謝る。
いろんな意味で、ごめんな、なまえ。
「でもそういうのも結局は、そのひとに好意があってはじめて成立する行為じゃないですか。初対面ですよ、初対面! 慎吾さんは誰に抱きつかれてもうれし…ああ、喜びそうですね」
「異議あり」
「却下で」
さっきからおとなしく髪の毛をいじられてるなまえの頭を見下ろして、表情は見えないがなんとなく口元が緩んでそうだな、とぼんやり思った。思ったらなんか自分の口元も緩んできた。しかしその返答はいただけない。
「俺だって誰でもいいわけじゃないっつの」
艶めかしく光るグロスが押しつけられたときの自分の制服もしくはその他の衣服を想像するだけでなんとなくげんなりする。離れた彼女の触れていた部分にファンデーションがうっすら残っててもがっかりすると思う。っていうか、「そもそも高校生にもなって男に軽々しく抱きつけるような奴はあんま好きじゃないし」
「………」
急にだまりこくったなまえの首もとがさっきから後ろを振り向きたがっていることを悟って、「はい動かないの」と頭を固定する。ポニーテールというなまえのリクエストは存外むずかしく、やっとまとまりかけてた髪を解くつもりは毛頭なかった。
「何?意外だった?」
不満げな(表情をみなくてもなんとなくわかってしまう)なまえに問いかければ、一考したような間があいて、
「……意外、でした」
と小さくつぶやいた。もう頭を動かす必要がなくなったのか、またおとなしく前に向き直る。
「島崎先輩は女の子なら誰でもすきなのかと…」
「それかなり失礼なんだけど…なんでそんな島崎先輩像ができてるわけ?」
そう問いかければ、「噂とか…外見とか、たまに見る校内の島崎先輩とか、私に対する態度とか、女の子の化粧が妙にうまいところとか、携帯とか」と、なまえは指を折りながら思いつく限りの理由をあげてみる。うげ、こいつ、そんなこと考えてんの普段…と、若干いままで引っ込み思案で大人しめそして果てしなく鈍いなどと侮っていたなまえの情報を書き換えて、そこではたと気づく。
「携帯って何?」
言った瞬間まだ指を折りながら次の理由を考えていたなまえの肩が見てわかるほどに跳ね上がった。なまえは黙っている。島崎も黙っている。
「…えっと、何のことでしょう?」
数秒間沈黙の攻防が続けられた後、なまえのとった対応策はこうだった。「何とぼけてんだ、よ」しかしそのまま流されるわけにはいかない島崎は、手に持っていたなまえの髪の毛をぐい、と引っ張り自分のほうへと寄せる。「どわっ」
「どういうこと、かな?」
もうちょっとかわいい声あげられないのかこいつ、とか思いながら、顔をなまえのすぐ横に寄せてささやくように言う。目を合わせないように、表情はのぞき込まない。なまえはひっぱられた頭が痛むようで、「おぉぉぉいたい、いたいよ島崎先輩!」とかなんとかいいながら、必死に手で押さえつけている。
「なまえちゃん?」真っ赤な耳に響くように、わざと低い声で囁く。
「ちっちがうんです!べつにそんな中身を見たとかそういうわけじゃなくて、あの、その」
やっと言いそうな雰囲気になったので、持っていた髪の毛の束をゆるめてやる。なまえはほっとしたように手を体のまえにおろすと、その両手の指をいじりながら、「携帯の、イルミネーションの色が、ですね…」と、ポツポツとしゃべりだした。
「イルミネーション?」
「…はい。前に高瀬くんから電話がかかってきたとき青で、野球部の主将さんからかかってきたときにも青で、女の先輩からかかってきたときは赤でして、」
もじもじもじ。「先輩が電話で話す内容とか聞いてると、赤が女の人で、青が男の人、黄色が家族からってわけてあることに気づいてしまい…その…」もじもじもじ。なぜそんなにもじもじしているのかわからない。こいつ、本当に意外なくらい鋭い奴だった。あれ?
「…俺おまえの前でそんな電話してた?」
「………う」
もじもじが止まったと思ったら、また黙りこくってしまった。これは、何かある。
そう判断した島崎は、手に持っていた髪の束を手早く結ぶと、なまえの肩をつかんで力任せに反転させる。つまり自分と正面から向き合うように。「ひっ」とあわてて距離をとろうとしたなまえの両肩を固定する。っていうか結んでる最中は後ろ姿しか見えなかったので特に意識しなかったが、髪をあげただけでずいぶんと印象がかわる。新鮮で、思わずかわいくなった、と言おうとして、寸でのところで言葉を飲み込む。追求が先である。
「もうそこまでいったんだから全部いっちゃいなって」
「…いや…でも…でも」
「だって絶対先輩引くもん」と距離をとるのはあきらめてうつむいてなまえがいった。引く?なんで俺が。つきあってもない先輩後輩の間柄で携帯の中身をみたのなら問題ありだが、なまえはそういうことはしていないと言う。そのからくりが知りたいだけだ。
あきらめそうにない島崎の様子に観念したように、なまえが口を開いた。
「み、みてたからで…です」
「は?」
「こ、校内で、先輩を見てると電話がかかってくるんです!別に会話を聞こうとしてるわけじゃないんです聞こえてくるんです不可抗力なのにこれいったらわたし完璧にストーカーみたいじゃないですかやだもうだからいいたくなかっ」
急にヒートアップしてきたなまえの口をおもわず手のひらでふさぐ。しばらくもがもがしていたなまえであったが、じーとしばらく見つめていると落ち着いたようだ。
「………へぇ?」
「あーもうなんですかその顔ぉ!わかってますよちょっと自分おかしいことくらい!」
思わず頬が緩む。のを押さえようとして、口の端をゆがめる笑い方しかできなかった。
「ストーカーみたいだな」
「わかってますってば!自分でいったことなのになんかくやしい!」
「そんなつもりじゃなかったんですってば…」顔を両掌で覆って島崎から顔をそらそうとしているが、肩は押さえたままなのであまり意味がない。
彼女が自分のことを校内でみるたびに(この様子じゃ観察に近いかもしないが)見ていたという事実にどうしてここまで自分が喜んでいるのかわからなかった。
ただ、
「それなまえ、誤解してんぞ」
「え?」と顔をあげたなまえがあまりにもキョトンという表情を体現しすぎていて、思わず吹き出しそうになる。のをこらえて、なまえの両肩から手を離し自分のブレザーの右ポケットに入っている携帯を取り出す。
「番号わかるよな? 電話してみ」
「えっ…はぁ、」
えっと、となまえも携帯をとりだして、ポチポチポチと操作をする。そして未だになぜ電話をかけるのか腑に落ちないような表情で、コールボタンを押した。
ほんの一瞬のタイムラグののち、島崎の携帯がひかる。
「あ」思わず、といった様子でなまえが声をもらした。「あれ?ピンク?」
「そ」
島崎の携帯はなまえの着信を受けて、ピンク色のイルミネーションを光らせていた。「なんでです?」
「赤は全部登録してない番号からの着信」
「へ!? あれ、全部ですか!?」
こいつ一体何回見たんだ…ということは心中におさめて続ける。「そーだよ。慎吾さんのケータイはそんなに女の子だらけじゃないの」
実際にはそんなことはないのだが、入っているだけで一度も連絡をとったことのないようなアドレスばかりだし、アドレスを知るより先に電話をしてきて名乗る人もいるし、意味は大して変わらないだろう。
「そ、それは…失礼しました」
青いのか赤いのかよくわからない顔色で、やはり目線をあわせずになまえが呟いた。
「ん?なにが?」
「か、勘違いをして…」
先輩を女好きだと。ほとんど口を開かずにそう呟いた。
ああそういえばそんな話だった。携帯の話題にすっかり意識をもってかれて、自分としたことが―――そこで、この話題になまえより自分のほうが必死になっていたことに気づいて、なんとなく腑に落ちない。悔し紛れに、ちょっとからかってやろう―――
「ポニーテール」
へ、となまえがまた間抜けた顔をする。そして目があったタイミングを謀って、
「超かわいい」
さすが俺が結んだだけはあるというのは心の中で。満面の笑みでいってやる。
「うなっ! な、な、なにっ」
うなってなんだよ、こいつはホントにリアクション大魔王だな…そう思いながら、恥ずかしいのかポニーテールにされた髪の毛に手を伸ばしたなまえの両手をガッチリつかむ。「バッカ、せっかくやったのにとろうとすんなよ」
「ちかい!先輩、ちかい!」
ん?とわざと気づいていないような表情で首を傾げる。わはは、チョーおもしれー。髪の毛をさわろうとしてた両手首をつかんだことによって妙に近くなった距離で見る赤くなったなまえの表情は、妙に―――そこまで考えたところで、キーンコーンカーンコーンと、チャイムが鳴り響いた。
「予鈴!次移動教室なんです!け…ど…」
これがふつうに出会ってふつうにこうやって休み時間をすごしているような女の子相手であったらそんなのもういいじゃんといえる雰囲気だったが、この後輩の事情を知っているからそういう雰囲気になることがためらわれて、そのままぱっと手を離す。
「よしよし、その髪放課後までにほどいたりしたら次からやってあげないかんな」
実はなまえの言うとおり、赤は全部女子(と未登録。つまりはデフォルトが赤なのである)、青は男子と決めていて、なまえ―――最近とある理由から目にかけている後輩の着信だけがピンクなことは、しばらく秘密にしておこう。
とりあえず、今日帰ったらイルミネーションの設定をいじらなければ。面倒くさいけど、この後輩のためならばしょうがないかな、とか。
20111204 織間
一応補足しておくと、ヒロインが慎吾さんのことを目で追ってしまうのは単なる興味的なものです。恋愛感情は無いと。そんでもってヒロインはちょっとストーカーというか、自覚なしのなんかそういうのが入ってるし、山チャンはスキンシップ過多なイメージがあって、慎吾さんはちょっとヒドイヤツ。