みょうじなまえの掌は甲板に触れている。触れているということは、なまえが船の状態を事細かに把握できるということで、それはつまりその船の起きる出来事をいち早く察知できるのもなまえということである。
そしてなまえはそのとき、たしかに船におきたある異変を、誰よりも早く気づくことができたのだ。
時刻はほんの数分前の話。
「あららら、常盤准将、なにするきなのかなー?」
暢気な声で、毎度のことのようにハンモックに寝転がりながら、大将青雉はつぶやいた。
応える声はない。
というのも、その部屋には青雉以外の人物は陰もなく、明らかに独り言であるのだが、当の本人は気にすることもしない。もともと誰にも聞かせるつもりのないつぶやきのようにも思えた。
そのとき、
「た、大将どの! 常盤准将どのが…!」
はかったように、一人の海兵が必死の形相でドアを弾き飛ばし飛び込んできた。
「あーうんわかってるわかってる。どうせ一人で大量の砲弾持って白ひげの船追いかけちゃったんでしょ?」
「はっ…!我々はどうするべきでしょうか…?」
そんなことは青雉に問うまでもなく、自分たちの指揮官が海賊討伐に赴いた以上ついていくべきなのだが、この場合は違う。
相手はこの海の頂点に皇帝のように君臨する白ひげ海賊団なのである。そもそも海軍本部の准将がいるからといって正面から喧嘩を売って良い相手ではない。今回は”町”という交渉材料と、イレギュラーで参加した大将がいるため正面切った戦いにはならなかったが、戦うということになれば赤子の手を捻るよりたやすく海の藻屑にされるだろう。―――それぐらい、戦力差は広く開いているのである。
准将一人、さらには大将一人。とても心強い味方ではあるのだが、白ひげ海賊団の前では心許ない。
そんな海兵の心境をしってか知らずか、
「んー…まあ行かなくてもいいじゃない?」
と、気にする素振りも見せずに呟いた。
その応えに海兵は一瞬呆気にとられるが、本人たちとしてはついていきたくない思いの方が強かったのですぐに反論の言葉はでない。
それに、あの准将の力なら、単体の方が襲撃しやすく、そして戦線を離脱しやすいのも事実であり、海軍では常識だったからである。
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ところ変わって船の甲板。
なまえは掌に感じる船の違和感を、たしかに感じているのにその実態をはっきりとつかめないことに首を傾げていた。何かあるとわかっているのに、”何か”が分からないのだ。
そしてなまえが接触感応能力に集中できないことにもその要因があり、集中できない要因とは目の前の二人の会話があるからであって、
「何かあったのか?」
「いんやー、ちょっとこれはやばめっていうか結構やばめっていうか、とりあえず大変っていうか」
「さっさと言えよ」
コウキの頭めがけてエースが手を振りおろすと、コウキはそれをひょいっとくぐり抜けるようによける。エースは一瞬追撃するか迷ったようだが、いつもとは違うコウキの様子にあきらめた。
その間にもコウキは右手を顎にあて、なにかを考えながら心ここにあらず、といった風体でキョロキョロと周りに視線をめぐらす。
そんなコウキの動きがとまるまでエースはなにも言わずあきれたような視線を向けていた。無理に急かさず、こうやって当人の発言を待つことができるところにこの船の船員たちの絆の深さが伺える。お互いを信用していて、疑わないからである。
なまえが一人そう心の中で決着をつけると、やっと視線をエースとなまえに戻したコウキは、
「えーと、率直に言うとこの船、沈むかも」
と、なに食わぬ調子で言い放ったのだ。
一瞬、誰も反応せずにいた。
「…………」
いち早く反応したのはエースだった。
「バッカヤロウ!!!んでそんなこと“ちょっと”やばいで片づけようとしてんだよおまえはバカかバカヤロウか!?」
「ごめんごめーんだってあまりにも壮絶な予知だったから自分でも信じたくなくてぇ、ごめーんね?」
ぱちん、と両手を併せて余裕のウィンクである。しかし状況的には焦っていられないようで、さっさと一段高い甲板の上に上ると、変な髪型の男性――たしかマルコといったか――に話しかける。一言二言会話を交わすとその場から、騒ぎを聞きつけた船員達に指示を飛ばす。
「見張りはなるべく遠く、町の方向へできるかぎり視野を延ばして。単体でもなんでも変な障害物があるようならすぐに報告すること。 あと船大工!今回の予知じゃおそらく船自体に何かあると踏んだ方がいい。一応下入ってみといて」
さっきとは打って変わり、いっさいのふざけた調子はない。そしてそのことはなまえの不安をさらに仰ぐことになり、隣に居るエースを見上げる。
「あの、船が沈むって…?」
「ああ、アイツも赤目っていったろ。予知能力者っていうんだが…」
「………プレコグ」
実物をみるのははじめてだった。
なまえは何人か、自分と同じ赤目を持つ人物とあったことがあったが、どれも念動能力者や発火能力者などのメジャーな能力を持っている人物しかみたことがなかった。
実際なまえのような超感覚系統の能力者は少なく、知り合いにはいない。
「ああ、一応アイツの言ったことは今まで大概当たってるし、一般的にもそういう能力ってことで通ってるが、なんかあんのか?」
「あ…いえ、何でもない、です」
予知能力者とは、その名の通り未来を予知することができる能力者である。超能力の大半が“現在”に影響を及ぼすものであるにも関わらず、一つ先の“未来”をみることができる、特異中の特異な能力である。
なまえは思わず、今も一段上の甲板で指示を飛ばし続けるコウキを見上げた。
「ただコウキは、“未来”はみえるがそこに至までの“課程”がみれないって前いってたな」
「ああ…たしかにそうかもしれないですね。感覚としてはきっと“なんでかわからないけどなんとなくこうなる”…っていう感じだとおも…い…」
甲板に触れている掌が、船の違和感を確実にとらえる。
それまで会話に夢中になっていたなまえの頭が、完璧にそちらに向いた。
「…ちがう、甲板の下じゃ届かない…」
「は?」
エースがぽつりと呟いたなまえをキョトンとした顔で見返す。なまえはそんなエースの様子にも気づかず続け、
「甲板の下じゃない!船底です!!」
なまえ自身どこからそんな声がでているのかと疑問を持つほどの大声を張り上げた。最初になまえがこの船に乗った(乗らされたともいう)ときに聞いた、見張り台の上からの大声に負けず劣らずの大声である。
「お、おいなにいってんだ」
「たぶんこれは瞬間移動能力による攻撃です!テレポートによって移動した物質は硬度に関係なく移動先の物質を押し退けて移動します!何か障害物を船底の板にテレポートさせて、それをすぐにもどす―――そうすれば船底に穴があく!」
なまえの大声で静まり返った船中の視線がなまえとエースに注がれていた。それにも気づかないで一気にまくし立てるなまえにエースはとまどった表情をみせるが、すぐに、
「…どうすればいい?」
「瞬間移動能力は、超感覚系と念動力系の合成能力なんです。超感覚の空間把握で移動先の物体の配置を把握して、空間移動で物質を移動させる能力」
きっとなまえは、自分がどれだけおかしなことを言っているか気づいていなかった。
赤目についてなにもしらない、手配書も、この世界の常識だってほとんどしらない。のにも関わらず、赤目の“超能力”についてはこんなにもスラスラと知識を引き出せる。
それは“何も知らない”のを否定することであって、なまえが嘘をついていることを肯定することにもなりかねない。
だが、なまえにとってはこの世界にきて初めて自分にも分かりうる現象が起こっていて、それを説明すれば、この船は沈まずにすむのだ。
この船が沈んでもきっと、予備の船やら救命措置の準備だってしてあるはずである。海賊ならおぼれずにどこか陸まで遠泳だってできるかもしれない。しかも、なまえのことはきっと―――いや、絶対に、一緒に助けてくれる。
非力なままのなまえだったら、エースの陰に隠れておびえていれば助かるのだ。
「だから、この船の位置を超感覚で把握できないようにしてしまえば、瞬間移動能力は強制的に中断できます!」
そんなことは関係ない、これからどうなるのかわからないが、この船には沈んでほしくなかった。今なまえが動く理由は、それだけで十分だった。
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みょうじなまえは、向き合うことを決めた。この世界とも、自分がおかれた状況とも、これからのこととも。
決めてしまえば後は楽だ。ごちゃごちゃ考えず、目の前のことをなんとかすればいい。
「具体的にどうすりゃいいんだ?」
「たとえばほこりっぽいところとか、雨の中とか、空気に不純物が多いとか、そういう場合では瞬間移動能力の精度がすごく落ちるんです。だから、この船の周りを何かで…」
言ってからなまえは気づいた。この船は大きすぎて、とてもじゃないが今すぐ空気中の何かで包み込めるほど大きくない。
まわりは海だし水しぶきや水蒸気でもあれば何とかなると思っていたが、そもそも甲板から海は低くてすぐにすくえる高さじゃあないし、放水機のようなものがなくては水があっても意味がない。
詰まった。静かに甲板に手を当ててみると、この船にとってはたいした痛手ではないだろうが、小さな穴がいくつかあいている。しかもその数はものすごいスピードでふえ続けていて、船底はどんどん虫食い状態に削られていく。
―――予知はふせげないのか。
「船の周りを“何か”で囲めばいーんだな?」
「………え?」
甲板に手を当てて考え込んでいるなまえの横から、エースがすっくと立ち上がる。
「忘れたのか?おれの力を見せてやるよ」
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ピクッ、と、群青色のまつげが動く。
とある港町―――件の海底鉱山の町―――の高台にいた光多は閉じていた瞳を開いて、その赤い目で船の方角を見据えた。
「………、」
船のある方角の空に、やんわりと広がるオレンジ色の炎。結構な距離があるのに光が届くと言うことが、その炎の大きさを物語っている。
こんな能力をもっているのは、あの船には一人しかいない―――そう考えてから、もう一人青雉から聞いていた赤目の少女が頭に浮かんだ。
「――………」
この状況で自分の瞬間移動が自分の意志で強制終了されるということは、これまでのことで考えればありえなかった。
実際、光多の瞬間移動を故意に強制終了させたものはいない。戦場の土埃などの影響でで発動しにくいことはあったが、それは誰かが意図的にやったものではないし、そもそも光多の瞬間移動の特性を熟知しているのは自分のほかには後一人しか思いつかなかった。
しかしその人物が白ひげに乗っているとは考えがたい―――否、そうではないと願いたかった。
そう考えて光多は自分の思考に結論をつける。
―――青雉の言っていた赤目の少女。
光多は誰に言うでもなくその存在を頭に刻んで、その場で“飛び”、海軍の待つ船へと戻った。
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「…もう、大丈夫だと思います。穴は今のところ致命的なところには開いてなさそうですが、放っておくと危ないかもしれないので塞いでおいてください」
甲板についていた手をはなし、静かにそう告げた。すると船員からは安堵の歓声と溜息がもれ、それも薄れると何人かはなまえの言うとおり船底の修理に甲板の下へ、それ以外の人々は何もなかったように各々の持ち場へと散り散りになっていく。
「…へえ、接触感応能力か」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえ、振り向くとそこにには上の甲板にいたはずのコウキが物珍しげな顔でなまえを見ている。
「接触感応能力…?なんだそりゃ」
エースはコウキの言ったことが理解できないらしく、首を傾げてなまえとコウキを交互にみる。
なまえは口を開こうとして、ぐっとその言葉を飲み込んだ。下手ないいわけをしても自分の能力はもうバレているし、それはどうしようもないことだからだ。
「ああ、こう、掌で物体に触れると…」
説明しはじめるコウキを見て、なまえは自分の表情が曇るのを感じる。なまえは、自分の能力が人に知れることがあまり好きではない。人に触れると情報を読みとることでできるという能力をなまえが持っていると知っている人には、たとえなまえにその気がなくても、露骨に嫌悪感をかくさない表情や視線を向けられることは幾度となくあった。
それは親や近しい人も例外ではなく―――。
「え…、―――うきゃあっ!?」
「なんだろーと今回のはおまえの手柄だ!」
唐突に、コウキの話を聞き終わったのか聞き終わってないのかわからないタイミングで、エースが小さい子供にするようになまえを高く持ち上げたのだ。
なまえは予想もしてなかった展開に一瞬混乱して、持ち上げられた際に無意識につかんでしまったエースの腕を離す。そしてせめてもの抵抗に両足をバタつかせてみるが、エースはまったく気にした風をみせない。
「は、はなしを聞いてなかったんですか!?わたしの掌にふれると、」
「考えてることが読みとれるんだろ?だからなんなんだよ」
「〜〜〜〜っ…!? それだけじゃなくて、記憶とか、そういうのも全部」
「だぁかぁらぁ、それがなんなんだよ!」
なまえも華奢な方ではあるがそれなりに成長した女子高生である。のにも関わらず持ち上げているエースは疲れをしらないようで、一向におろす気配がない。なまえはエースの、自分の掌に触れることを本当になんとも思ってない様子を見て、一瞬抵抗を忘れて呆けてしまう。どうしたらいいかわからない。
「この船には自分の考えを主張できないやつも、隠す奴もいねェよ。それにおまえが読もうと思わなければ読めないなら安心だ」
「そういう問題じゃ、」
「あーもううるせェな!おまえがなんと言おうと、今回この船を救ったのはおまえだし、おれらはおまえのチカラに感謝してる。それだけだろ」
出会ったことのない事態に遭遇して、戸惑いから声がでなかった。何か言おうとするのに、言葉が見つからなくてただただエースの顔を見つめてしまう。
「ありがとな」
そう笑顔で言うと、自然な動きでそのままなまえを甲板に降ろす。なまえは口を開きかけるが、未だに言葉を探し続けている間に、エースは上の甲板へと歩いて行ってしまった。
その後ろ姿を見つめるなまえの頭を、コウキがくしゃっと撫でる。
「今までどんなことがあったのかまだしらねーけど、少なくともこの船じゃ同じことは起きないと思っていい。そもそもそんなことをいちいち気にかけるような繊細な奴乗ってねーし。な」
「……わたしは、…」
ここにいてもいいのでしょうか―――そう言おうとした言葉は、飲み込んだ。
20120710 織間