みょうじなまえは、自然と割れた人垣の先にいた人物をみて、溜めていた涙をこぼしてしまう。まだ出会って数時間、しかもお世辞にもよくしてもらったとは言い難い相手だった。
なのに、なぜか、心の奥底で安堵してしまったのだ。
「あららら?白ひげの船は撤退したんじゃなかったか?」
青雉はなまえの腕をつかんだまま、近くにいた海兵に問いかけるように視線を移す。
「はっ、確かに撤退したはずですが…」
自分に急に話が振られて驚いたのか、どぎまぎしながら海兵が答える。
エースは、船の上で最後に見たときと何ら変わっていなかった。とんでくる破片から、なまえを庇った時と、何も。
「まァいいか。火拳、なんでこんなところにでてきた?ここには海兵しかいないぞ」
「そっちの女に用があんだよ」
くいっと顎で指す先にいたのは紛れもなくなまえで、青雉は不思議そうに眉を潜める。
「まさかこの子、もう白ひげんところの船員なのか?」
「ちげぇよ、ただの一般人だ。話しの途中だったから連れ戻しに来た」
「娘一人のために、わざわざ火拳が?」
繰り広げられる会話に話題の中心であるはずのなまえは完璧に置いてけぼりを食らっていた。ただ、どうやら話し合っているのは自分の身柄の行方らしい。
「…ああ、おまえのところにも一人“赤目”が居たっけな」
青雉はそういって目を細めると、なまえの腕をつかんでいた力を緩め、なまえの高さまで降ろす。ずっと腕を上げていたので血が戻ってくる感覚がするが、そんな余韻に浸る暇もなく。青雉はあろうことか、なまえをそのままエースの方へと突き飛ばした。
「へぶっ」
「うおっ!?」
エースの胸板に顔面をぶつけるのは二度目である。しかも今度は自分の全くの思慮外で起こったことで、受け身がとれずにそのまま転びそうになる。が、転ぶ前に、当たり前のようにエースが受け止める。
「こちらとしては、その“赤目”はやるからこの町から手を引いて欲しいんだけど」
「はァ?この女、“赤目”なのか?」
この男も知っているのか―――と見上げてみれば合う視線。なまえの瞳の色を見て一瞬驚いたように目を見開くが、すぐに青雉へと視線を戻す。
「この町の海底鉱山の件にはこちらの“瞬神”准将さんの名誉が掛かってるし。俺はツケ1出て来ちゃったからには、なんとか納めなきゃいけないんだよ」
「そんなんそっちの理由だろ。親父のシマを海軍にやるなんてそんな真似、すると思ってんのか?」
空気がだんだん険しくなる。
エースはなまえをしっかり立たせると、立ちはだかるように青雉に正面から向き合った。そんなエースの交戦的な視線を受けて、青雉はため息をつく。
「別にこのままこの町の中心部でドンパチやってもいいけど、それだと被害はもっと酷くなるんじゃないか?お前はそれでもいいのか、火拳のエース」
エースが反論できなかったのは、青雉の言っていることが尤もだったからだろう。
あの船の上でみたような炎が、この町の中心部で、人が集まっている中で、海兵たちと争いでもしたら、きっと怪我人も町ももっとひどいことになる。
「たとえこの町に白ひげの異名が無くなろうとも、海底鉱山のあるこの町は完璧な海軍の保護対象になる。海賊からの被害はこれからも防がれるし、海軍に目を付けられることもない」
そのときのエースの目には、青雉ではなく、噴水の縁に海兵によって押さえつけられる老人が映っていた。それから周りの傷ついている男衆にも目をやる。
「納得したか?なら、さっさとここを出航しろ。どうせ島の裏側にでもに停泊してるんだろう」
「………」
エースは不機嫌そうに青雉を睨みつけ、しかし反論はしなかった。
そのままなまえをその場に置いて一歩進み出る。エースは歩みを止めずに噴水までいくと、老人を押さえている海兵に、
「どけ」
と一言。押さえつけていた海兵は困ったように、なまえを殴った偉そうな海兵と、青雉とを見比べて、青雉がうなずいたのを見ると、おずおずと老人を離した。それに続いて周りの男衆を押さえていた海兵たちも、戸惑いながらも拘束をやめる。
エースは老人の腕をとると、ぶっきらぼうに、だけど優しさを感じるような仕草で抱き起こした。
「エースさん」
「迷惑かけちまったみたいで悪かった。怪我はねェか?」
海兵と争ったのだ。怪我が無いわけない。のに、老人も、男衆も誰一人声をあげなかった。否、誰も声をあげられなかった。
「もう、これで大丈夫だ。今まで祭開いてくれてありがとな」
そう一言いって、いつの間にか泣いている老人の肩を叩く。町の人の誰の言葉も待たずに、なまえの方へと歩いてくる。
いくぞ、と小さく言うとなまえの腕をとり、引っ張るように広場を歩いて後にした。
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「…あの」
「なんだ」
町の裏側。すでになまえとエースはそこまで歩みを進めていた。
「何か不満か?」
不満も何も、この状況はいったい何だ。
「あの、降ろし」
「ダメだ」
なまえは現在、自分より身長が30cmも高いエースに、俵抱えされている。いつもより異常に高い目線にはなれたが、腹に当たるゴツい肩の感触には馴れそうにない。むしろ痛さは時間に増して大きくなる一方である。
「な、なぜ!」
「逃げるからだろ。さっきも砲撃に紛れて海に飛び込んだって聞いたぜ。そんなに逃げたかったのか?」
「あれには理由が、」
自分は戦闘に関しては無力だが、救助活動や、救護活動には役立つと思った。から、老人を助けねばと、町に向かわねばと決死の覚悟で海に飛び込んだのだ。
「とりあえず、んな簡単には逃がさねェからな」
「うっ…」
なまえは思わず息詰まった。なぜ私みたいな小娘ひとりに寄ってたかって!
そして、次にエースがいった言葉を聞いて硬直する。
「“赤目”なら、尚更だ」
―――ああ、やはりか。
なまえは胸のどこかで感じていた温もりが一気にさめていく。安心なんてするんじゃなかった、なまえは唇を噛みしめる。
この世界でも、自分の持つ”赤目”は何らかの意味を持つのだ。それも、昼間捕まった海賊は知らなくて、大将と呼ばれたあの男や、そこらの海賊とは格の違そうな隊長と呼ばれるこの男は。
船はもう、すぐそこだ。
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ところ変わって海軍本船。
今回の件を任された海軍本部の准将・常盤光多は、未だ暗い部屋にいた。空の端が白んできてはいるが、何かを考えるように部屋から出ようとしない。
そこへ、町へでていた大将青雉が戻ってくる。
「終わったよ。いやあ、久しぶりに降りた陸はやっぱりいいねぇ」
などと暢気にいいながら、またハンモックに横になる。この海軍大将とは、この件を任された光多が先ほどこの町に航海しているときに海の真ん中で出会い、昔のよしみでここまで一緒に来ていたのだった。
「そういえば、町に降りた俺からの朗報」
ハンモックに横になっていた青雉は、目だけを光多に向けて、反応を伺うように間を空けてから話しかける。
「“赤目”をもつ少女が一人、いた」
「………!」
いままで身動きもしなかった光多は、その言葉を聞いて青雉のほうへと目を走らせる。思った以上に大きな反応が返ってきたことに青雉は一瞬驚いたが、光多の意図を感じて言葉を付け足す。
「ああ、“白咲”の彼女じゃなかった。ただの一般人」
「…そうか」
納得したようにまた視線を下に戻す。そしてそれから、何かに気づいたようにまた口をひらいた。
「その娘は」
「白ひげのところの火拳に預けて来ちゃったけど。なんかやばかったか?」
「…少し」
青雉ははあ、とため息をついて上半身を持ち上げる。この准将が何か気にしているということならば、預けてしまった以上自分がなんとかしなければならない。
しかし相手は大海賊の白ひげである。何か策を考えてからいかなければ。それに、この町を出てしまってからでは安易に手が出せない。急がねば、と部屋を出ていこうとした青雉に、
「いい。俺が行く」
そういったのは光多であった。そういうと今までずっと座っていた場所から立ち上がり、青雉の返事も待たずに瞬き一秒の間に消えてしまった。
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みょうじなまえは、顔面を蒼白に染めていた。このとてつもなく広い甲板に座るのは2度目であるが、状況が些か、いや全く違っていたのだ。
以前この甲板に座ったときは周りにいたのはポートガス・D・エースとその愉快な仲間たち、十数人だけであった。がしかし今回はどうだろう。目の前にいるのは小山のように大きな、真っ白な髭を口元に携え、体中が数々の生命維持のためと見られる管でつながれている、白ひげ海賊団船長、エドワード・ニューゲートその人だったのだ。
なまえがこの名前を知るのはもう少し先のことではあるが、とりあず今は、その大きさに、雰囲気に、自分を見つめる視線に、押しつぶされそうになっていた。
「親父、連れてきたぜ」
エースはエースでそんななまえのことも気にかけずに、親子のように話しかけている。親父と呼んでいるということは、まさか本当に親子なのだろうか。
白ひげ本人だけでもものすごい威圧感なのに、いつのまにか甲板には先ほどまで海軍と交戦していた船員たちの大半がそろっている。まさに猿山の猿の気分である。
「ほう。お前が言っていた昼間の出来事の主犯が、そんなガキか」
声が、威厳でできている。
目の前の小山から発せられる一言一言がものすごい重さになってなまえにのしかかる。膝の上で握っている拳の中は汗でびしょびしょに濡れていた。
「名前は」
白ひげが発した言葉を誰も受け取らない。なまえは遭遇したことのない命の危機で頭が回っていなかった。だから、その言葉が自分に向いていることも気づかなかった。
「…お前だよ、お前!」
「えっ」
エースが横から囁くように、極弱い力でこづきながらなまえに言う。そこでなまえは初めて顔をあげ、白ひげの顔をまじまじとみた。その双眼が自分に向いていて、目があった瞬間そらせなくなる。
「えっと、あの…みょうじ、なまえ…です」
「そうか。聞く名じゃねェな」
そらすことのできなかった視線の先の瞳が、すっと細められる。その瞳からはさっきの射抜くような気配が無くなり、少しだけ優しさがにじみ出した。
「おいエース」
「なんだ?」
「なぜそんな娘を、連れてきた」
その言葉を聞いてなまえは一瞬理解ができなかった。否、したくなかった。ぽかん、と呆けてしまう。
からからに乾いた喉を必死に動かして、震える声でつぶやくように話しかけた。
「え、あ、あなたがつれてこいと言ったんじゃないんですか?」
「なぜだ」
とうとう意味がわからない。
なまえはまったく状況が理解できなくて、エースと白ひげとを交互に見やる。幸いどちらも憤ってはいないようだが、なまえが釈然としなかった。
「おれァ小さな騒ぎの主犯なんぞ、気にしねェぞ。その件は堪えなかったエースが悪い。迷惑かけたな」
「い、いえ、あの」
予測せず謝られてしまったなまえは、慌てふためいてしまった。そのどうしようもない居心地の悪さに、救いを求めるようにエースを仰ぎ見る。
「…確かに一回連れてきたのはその用だったが、今回連れてきたのはその用じゃねェ。べつの用だ」
―――この場で、言われてしまう。
「こいつは…」
「おーい、そろそろ船動かした方がいいぞー」
その時上から響いた暢気な声に、一同が上を仰ぎみた。
一段上の甲板から見下ろしているのは、なまえが海に飛び込んだとき側にいた船員だった。船の大半のクルーが甲板に集まっているのにも関わらず、一人で甲板を見下ろしているのだ。
「コウキ」
「なーんかいやな予感がするから、はやく沖に出た方がいい。――その子、どーすんの?」
そういって目を細めてなまえをみた。その瞳が、瞳の色が、―――なまえと同じく、双眸紅に染まっていたことに、なまえは目を見開いて凝視する。
「おい、何してんだよい。コウキがああ言うんだから、早く船を動かす準備でもしたらどうだよい」
なまえの後ろの群衆から一歩下がって見物していた人物 変な髪型の マルコが、近くにいた船員たちにそういう。いわれた船員たちは、なまえを見物するためにあつまっていた甲板を一人、また一人と離れ、帆を張り、碇をあげ、出航の準備に取りかかっていった。
なぜ、赤目がここにいる―――。
「おい」
「えっ、あ、はい?」
うごきだした船員たちを見ながら一人で思考していたなまえは、急に声をかけられて我に返った。声をかけられた方に向き直れば、エース、白ひげがこちらを見ていた。少し視線を上にすれば赤目をもった青年の船員、そしてなまえの後ろを一歩離れたところにマルコがいる。
全員がなまえを見ていた。
「おれたちはいろいろあってこの町を今すぐ出航しなくちゃなんねぇ。そして、この町はこれから海軍配下になる」
視線をあわせるようにしゃがみ込んできたエースが、人差し指をたててなまえに説明する。
その話しは先ほど青雉と小競り合っているときに聞いていたため、なまえは素直にうなずいた。なまえがうなずいたのを確認すると、
「そんで、海軍配下になった以上、お前はあそこじゃ平和に暮らせない、っていうのは分かってるよな?」
「え!?」
話が飛んだ。先にもエースはしかと青雉に「こいつは一般人」発言をしていたのをなまえは聞いている。なぜ一般人なのに暮らせないのか。海賊を討つのが海軍である以上、海軍は一般人の味方のはずである。
「? 知らねェのか?」
「えっ、と…」
なまえが驚いたように声をあげたのを不審に思ったのか、眉を顰めながらエースは首を傾げる。
「まァいい。知らないんだったら後で教えてやるよ」
「あ、ありがとうございます…?」
「おまえは今すぐにでもこの船を降りたいかもしれないが、とりあえず理由があってそれはできねェ。降りたいなら次の島で降ろしてやるから、それまではこの船に乗る。 いいだろ、親父?」
決定権はなまえになかった。エースの口調がなまえの未来を断言する雰囲気であったし、しかも問いかけた相手はこの船の長白ひげだった。
白ひげは悩む仕草すらせずに、
「好きにしろ」
白ひげがそういった。そしてそれを見計らったように船が小さく揺れ、その揺れが徐々に大きくなり、臨海部から離れたことを悟る。
「次の島で降りるときのために、一応一般人の捕虜ってことにしておくからな」
はぁ、といったなまえの声はなんと間抜けだっただろうか。一定のリズムで揺れを刻む船に揺られながら、なまえは遠くなっていく沿岸を見つめることしかできなかった。さすがにもう、泳ごうとは思わない。
これがみょうじなまえの、この世界に来てから白ひげの船に仮捕虜として乗り込むことになり、出航するまでの経緯である。
20100831 織間