みょうじなまえは走っていた。行く宛が特にあるわけでは無いけれど、ただ、少しでも遠くに逃げなければならなかったからだ。
 さっきぶつかるように仕向けてきた男たちのことは、どうやらぶつかった同士の気性が荒かったらしく(何せ片方はなまえを売り飛ばそうとした海賊なのだ)、随分大きな騒ぎになっているようだ。すれ違う人たちの噂から、その騒ぎの元凶の人物を、被害を受けた男たちが探しているとも聞いた。つまり、なまえのことを追う人間が増えてしまったということだ。なまえはなるべくそのことを考えないようにして、とりあえず走っていた。

「はっ…はあっ」

 だけどなまえは特別な訓練を受けた軍人でもなければ、身体能力が特に秀でてるわけではない。しばらく走り続けているとペースが落ち、足が思うように動かなくなり、汗が出、息がしずらくなり、立ち止まる。
 まだ祭の人垣は抜けていない。全速力で駆けてきたなまえを、町の人間は不思議なものを見る目で見ていたが、とくに声をかけるものはいなかった。
 もう日が暮れている。夜になれば、必然的に人は減るだろうし、それに反比例して危険は増すだろう。なんとか身を守れる術か、身を寄せられる場所を探さなくては。

「おや、あのときのお嬢ちゃんじゃないかの」

「え?」

 不意に声をかけられ、声のした方を向く。そこには昼間、町を案内してくれた老人が、所々に設置された、街頭代わりの祭りのときにだけ使われるのであろう松明の光に照らされて、そこにいた。なまえは数時間ぶりに再会した老人をみて、心が安堵するのを感じる。

「どうしたのかの?あのホテルに泊まっとったんじゃ…」

「えっと、夜のお祭も見てみたいなー、と思いまして!」

 とっさに出したいいわけであった。老人はなまえの様子をみて、思うことがあったのかもしれない。が、納得した風に、にこりと笑って続けた。

「なるほどのう、なら、こっちにきて一緒に宴会に参加したほうがおもしろいじゃろう。どうかな?」

「えっ いいんですか?」

「宴は人数がいればいるほど楽しいんじゃよ」

 ――宴会ならば、もしかした夜が更けても人がいなくならないかもしれない。 
 なまえはその老人の申し出を、有り難く受けることにした。




「嬢ちゃん!嬢ちゃんも飲みな!ホラ!」

 どんちゃん騒ぎとは、まさにこの状況のことであろう。
 老人につれてこられた広場らしき場所には、人という人が、むしろ、この町のどこにこんな人が残っていたのだというほどに、人で溢れていた。広場にくるまでは周りを警戒してやまなかったが、木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、これならきっと見つからない。むしろなまえは隣にいる老人さえたまに見失いそうになっていた。

「いや、あの、お酒はちょっと…」

「なんだよ、飲めよ、宴だぞ〜!」

 なまえはまだ未成年である。しかしこの町の――いや、もうこの際この世界と言ってしまおう、この世界の法律がどんなものかをなまえは知らない。もしかしたら未成年や成人の分類も無いのかもしれない(何せ、一般人でさえ銃や刀を持ち歩いている世界だ)。どうだどうだと勧められる酒を、やんわりと断り続けていた。

「ほれ、やめなさい。困っとるじゃろう」

 何回も同じような問答を続けているのを見かねたのか、となりに座っていた老人が朗らかに言う。
 朗らかに、あくまでも朗らかに言っただけなのに男は今までのしつこさが嘘のように酒の勧誘をやめる。そのあっさりさというか、あきらめの良さになまえは少し驚いた。

「町長がそういうなら、仕方ねぇなあ」

 「みんなで飲んで騒いだほうが絶対楽しいのに」。男はそう小さくいってから、なまえに勧めていた酒瓶を自分で呷った。
 なまえはその男の言葉に一瞬気をとられ、反応が遅れる。

「町長さんなんですか!?」

「おお、いっとらんかったかの。そうじゃ、わしがこの町の長じゃよ」

 こんな―――これを言ったら失礼だが―――どこにでもいそうな老人が、この盛大な祭を催す町長。たしかに、見ず知らずのなまえをためらい無く受け入れて親切にしてくれたこともあるし、今の会話だって町の人の信頼が無くては成り立たないことである。器の大きさはかなり大きいらしい。

「えっと、あの」

「おっいたいた!おーい!町長!」

 なまえが今までの礼を改めて口に出そうとしたが、その場に響いた大声によってかき消された。
 誰――――となまえは後ろを振り向いて、すぐに老人の方へと向き直った。その間コンマ1秒あるかないか。やばいやばいやばいやばい――――なまえの頭の中で警報が鳴り響く。

「おう、久しぶりじゃのう」

「今年もこんな祭開いてくれてありがとな!お陰様で酒を存分に飲める」

 町長と親しそうに会話するこの青年、服装こそ違うが紛れもなく昼間のテンガロンハットの男である。木を隠すなら森の中と安心するべきではなかった。なまえの隣にいる老人は、ただの木ではない。町をささえる大木だ。

「嬢ちゃん、この人が前に言った白ひげさんところの二番隊長のエースさんじゃよ」

 やめて話しかけないでお願いします今だけあたしを空気にして――――なまえはそう心の中で叫んだ。大木の隣にいたなまえは十分目立つ存在であったらしく、エースは興味津々というような形でなまえを見て――固まった。

「おまえ…」

「人違いです」

 即答。

「…………」

「…………」

 反応が無いエースの様子を伺おうと、そろり、と後ろを向いた。のがいけなかった。

「ひっ…!」

 その場には、エースを中心に、どうもこんにちは俺たち海賊です、という人相の男たちが10人以上いた。筆頭にいるエースが、小春を見るため屈みこんだ形のまま、笑顔で言う。

「はい、捕獲」

 なんてことだ!



 なまえは今、かつて無いほどの恐怖を味わっていた。一言で言えば、死にそう。もう少し言えば、超とてもスーパーハイパー死にそう。強面の男たちに囲まれて、船の甲板(ものすごく広い)に正座している。さっきまで祭に浮かれていたのが嘘のようだ。強面の男たちはなまえを取り囲むように立ち並んでいたが、なまえの正面だけは開けてある。正面のその先に、1メートルくらい離れて、あのテンガロンハットの男―――エースが立っていた。腕を組んで仁王立ちである。

「さァて、この落とし前はどうつけてもらおうか?」

 エースがにこり、と効果音のつきそうな笑顔で言う。
 なんて世知辛い。なまえは海賊に売られそうになって、逃げて、追われていた。から仕方なく、本当に仕方なく引っ張ってぶつけるように仕向けた。たしかに悪いとは思っているが、結局こんな臨死体験をしなければいけないのなら、どうすればよかったのだろう。いや本当に悪いとは思ってはいる。

「いえ、あの…その…すみません」

「すみませんじゃねェんだよ、おまえ」

 エースが正座したなまえに視線を合わせるようにしゃがみ込む。思いがけず合ってしまった視線に、さっとなまえが視線を横にはずす。

「あの騒ぎのせいでおれァ、昼間祭に行くの禁止されたんだからな。相手が海賊だったからまだいいいけど、一般人に迷惑かけたらいけねェって親父に言われてんだよ」

 なまえその子供のいいわけを連ねるようなエースに視線を戻して、キョトンとした。続いて周りの強面の男たちをみると、そのエースの話に共感するようにそうだそうだ、と首を縦に振っている。

「祭に行けなかったから怒ってるんですか」

「要約するとそうなるな」

 立ち上がるエースを視線で追う。なまえは正座しているので、エースの表情を伺おうとすると自然と見上げる形になる。見上げてみたエースの表情はさながらすねた子供のよう。思わず頬がゆるみそうになる。
 なんだか愉快な人たちだ。

「この祭はなァ、おれら二番隊の年中行事の中でトップ3に入るくらいの楽しみなんだよ。その1日のうち半日を、おまえがつぶした。どうしてくれる?」

「も…申し訳なかったと思っています…」

 なまえは見上げていた視線を下に戻す。たとえいくらこの人たちが仲間同士で仲がよくて愉快であっても、なまえは所詮他人、海賊と一般人である。荒くれ者の人情が通じるのは大抵荒くれ者たちの間だけの話である。
 なまえはこの中の一人にだって素手ではかなわないだろう。むしろ、何か武器があってもかなわないかもしれない。
 自分の命はいま、この人たちの手の中で転がっているのだ。そう考えると、また恐怖が戻ってくる。

「おいエース、女の子なんだからあんまいじめんじゃねぇよい」

 なまえが下を向いて少し感傷に浸っていると、前の方から陽気な声が聞こえた。救世主かの登場になまえが顔をあげると、すたすたと歩いてくる人物が一人。変な髪型。

「マルコ」

「俺もみてたが、あれは油断しすぎたおまえも悪ぃ。それにその子も悪気があってやったわけじゃないだろい」

 ―――わかってくれる人がいた!そうです私は売られそうになっていました!
 なまえはこの海賊船に入ってはじめて自分の立場をわかってくれた人物に感謝の眼差しを送る。が、その眼差しは一瞬で無意味なものとなる。

「適当に金目のものでも置いてってもらえよい」

 ―――ああ神様、海賊なんぞに一瞬でも感謝したあたしがただのバカだったんですね。
 なまえは絶望した。もうこの状況を打破してくれる人はきっとないだろう。海賊なんてそんなもの、ああもうだめだ人生お先真っ暗よ―――なまえはうなだれていた。

「なんて、冗だ」

「海軍だァ―――――――ッ!!!」

 上の方から、とてつもない大声が聞こえる。誰かが張り上げたらしい大声が、ものすごく広い甲板に響いていた。さすが海賊、声の出し方が違う。
 なんて、関心しているのはなまえだけだった。
 その大声が聞こえた直後、一斉に目の前のエースとマルコ、二人の目つきが変わる。ぞっとした。さっきまで自分を見ていた目が全然本気ではなかったんだと悟る。きっと自分の周りにいる強面の男たちの顔ももっと鋭くなっているのだろう―――と視線を巡らすが、もうそこには誰もいなかった。
 さっきまでの空気より、さらに鋭くなる。エースがなまえに近づいてきて、

「いいか、下手に船から離れるなよ。なるべく物陰に隠れて、口を結んでおけ。声を出そうとするな」

 そういって―――無意識だろうが―――ぽん、となまえの頭をなでてから、マルコと行ってしまった。
 なまえはなでられた頭を思わず右手で触ってみる。どうして―――
 そんな思考も、次の瞬間には吹っ飛んでいた。というより、なまえが襲ってくる衝撃に耐えられなくて、転がっていた。

「…!?」

 船が、揺れている。それも、轟音とともに。

20100710 織間