出会いはきっと、世間一般の物差しからいえば、超運命的で、超最悪なものだった。
物事の状況を示すにあたって一番わかりやすく簡潔に述べるための基本的なテンプレートがある。5W1H。WHEN・WHERE・WHO・WHAT・WHY・HOW。最近はWHOSEとかWITHとか増えて7W1Hともいうらしいが、今回は前者だけで十分である。
放課後、プールで、黄瀬涼太が、いじめを、声が聞こえたから、フェンスの間から。目撃。それがすべてである。
女子特有の甲高い笑い声と水音。罵るような荒い声。黄瀬はその一連の騒動に「あーやっちまったーめんどうくさそうなところに遭遇したー」と、校門で待ちかまえている女の子たちを巻くためとはいえこんな辺鄙なところを通ろうとした自分に頭を抱えながらどうしたものかと考え込んだ。
プールサイドにはずぶぬれの女子生徒が一人だった。縁に腰掛けて憂鬱そうな面持ちで両足をプールに入れ、じっと水面をみつめている。うつむいているその横顔から水が滴ったのが見えて泣いてるように思ったから、つい声をかける。
「だ…大丈夫っスか」
「………見てたの」
語尾に疑問符はついてなかった。
誰もいなくなったプールへの門を押し広げて入ってきた黄瀬をプールサイドに腰掛けたまま一瞥すると、そのまま足を水から引き上げて、黄瀬に声をかけるでもなく素通りしてすたすたと更衣室へとあるいていった。
止めにはいらなかったことを悔やんでいるわけではない。
自分が女子の目をひきやすい外見をしていることは重々に承知しているし、そもそもそういう自分の外見のせいで引き起こった女子間のいざこざも両手で数えて足りなくなるくらいだ。理解しているからこそ、手出しはしなかった。女子のグループがプールの門を通って、黄瀬に気づかず、そのまま校舎の方へと歩いていくのを見送ってから、プールへの階段を上った。
このまま見過ごすには少し罪悪感のような後味の悪さが残る。ここでなにかをしてもそれが払拭されるわけではないが、このままおいて帰るとそれはそれで募るものがあるような気がして、とりあえず後ろからついていくことにした。
女子生徒は更衣室に入ってなにやら馴れた手つきでロッカーをあけると、そこからハンガーを取り出して近くの壁にとりついているフックに掛ける。
そして黄瀬を一瞥して言い放つ。
「じろじろ見ないでくれる。ついでに、ここからでていってくれない。制服乾かさないと帰れないから」
淡々と用件だけをそう述べると、何気なしに制服のワイシャツの第一ボタンへと指をかける。黄瀬がそのものいいに戸惑って動けないでいるのも気にせずに、そのままひとつふたつとはずしていった。
三つ目のボタンに指がかけられたところで、もう一声。
「こっちみないでってば―――ねえ、聞いてる?」
彼女の言葉に始めて疑問符がついた。首を傾げたときに髪から滴り落ちた雫がなにげなしにさらけ出された胸元を流れ落ちて、あわててぐるん!と顔を背ける。
肌に張り付いた衣擦れの音がダイレクトに聞こえてきて、思わず肩がこわばる。
想像してはいけない想像してはいけない想像してはいけない想像してはいけない―――。
黄瀬は半ば念仏のように自分の邪心と戦っていた。更衣室の外壁に寄りかかり、なにをするでもなく、というよりこのまま立ち去るのもなんか気まずいし、と葛藤を続けていると、中からまた声がかかる。
「まだいるの? じゃあついでだから、プールサイドにローファーの片方が落ちてないか見てきてくれない。突き飛ばされた時に脱げちゃったみたいで見つからない」
「えっ!? あっ、ああ…いいっス」よ。そういおうと振り向いたら、更衣室の出入り口からこっちを見ている女子生徒とダイレクトに目線が交わった。
不思議な雰囲気を持つ少女だ。
特に目立つ顔立ちをしているわけでも、とりわけかわいいわけでもない。のに、なぜか目が釘付けになる。瞬きをしているその瞳から目がそらせない。
「………あんま見るなって言ってるんだけど」
ぞんざいになった言葉にハッと我に返ると、彼女の出で立ちに自然と目が流れた。
更衣室の入り口の壁に手をかけて、顔だけをひょこりとのぞかせている。しかしその右肩にはなんの衣類も纏われていなくて、いやこれには語弊があった、ブラジャーのストラップと思しき紐が―――。
「すみませんっした!!!」
ほんの5分ほど前に出会った間柄のはずなのに、もうすでに3回も“こっちを見るな”といわれている。
黄瀬も人から好奇な視線を向けられることは馴れているし、それが馴れるまでにいかに気に障るものなのかは心得ている。と思っていたのに、この短時間で3回もそんなガン見してたのかとうなだれたくなった。相手は(一応)傷心の女の子なのに。
「ローファーローファー…っと」もんもんとした考えを振り払うようにつぶやきながら、プールサイドをぐるりと回ってみる。「あ、あった」
プールの縁から離れたフェンスのところに、一足―――片方だけの―――ローファーが置き去りにされていた。拾い上げる。
「ちっちゃい…」
ローファーなんて普段マジマジと見ないため女子の平均的なサイズがどんなものかわからないが、自分のものと比べたら、まさにすっぽりと入ってしまいそうなくらい小さかった。全然濡れていないそれを指にひっかけながら、更衣室の方へともどる。
「あのー、あったっスよ」
開きっぱなしの更衣室のドアから中をのぞこうとして、すんでのところで思いとどまる。確か相手は服を着ていない。
「ここ置いて起きます」そういってローファーを更衣室の出口においた時だった。
ずっ、と鼻を啜る音が、中から聞こえたのだ。
え、と固まってしまう。出会ってからの彼女、つまりほんの10分ほど前に出会った彼女は、プールに落とされたとか、罵倒されたとか、そういう行為があったとは思えないほど毅然とした態度を示していた。黄瀬の同情を買おうともせずに、むしろこき使うくらいの勢いで。
なのに、この場面で。
「あー、え、えっと。気にすることじゃないと思いますよ。女の子の間でドロドロとかよくあるし…あ、じゃなくて、えっと…気にするなっていうのも無理なはなしかもっスよね…すみません…」
「気にしないでいいよ。自分の考えをちゃんと言葉にできないことって、誰にでもよくあることだから」
…励まそうとしたのになぜか励まされた…。
黄瀬は釈然としない感触に首を傾げる。ていうか。
「あれ?泣いてない?」
「どうして私が泣く、の…」
そこで、息を吸い込む音がして、くしゅんっと鳴くのが聞こえた。ああ、なるほど、と納得する。
「寒いんスね」
「………そんなはずはないんだけど」
「どんなハズっすか!」おもわず吹き出してしまった。何を根拠にそんなことを断定しているのだろう。そして、直後に自分がどれだけ気の聞いてない奴かに気づいてしまう。
季節は初夏とはいえ、プール開きにはまだ早い。しかもなんの準備もなしに全身ずぶ濡れになったのだ。寒くないはずかない。
あわててブレザーの上着を脱いで、「あの、ブレザー、よかったら」と声をかけてみる。一考したような間があいて、
「………いいの?」
と中から問いかける声。
「あたりまえじゃないっスか、むしろ今まで気が利かず申し訳ないっス」
「……んん」
肯定とも否定ともとれないような返事をもらって、さてこのブレザーをどう渡したものかなと考える暇もなく、更衣室の中から白い腕と女子生徒の顔がひょこりとでてくる。
やはり、特別かわいいわけじゃない。特徴的な目鼻立ちをしているわけでもない。化粧もなにもしていない。のに、自然と目が奪われてしまう。
「……………」
「………あっ」
また数秒見つめあった後だった。先ほどまでのほうに見るなと注意をしないのはきっと彼女なりの気遣いなのだろう。たとえ待ちぼうけになっているとしても、貸してもらうという負い目があるから。
態度とは裏腹に健気な子なのかもしれない、と評価を下しながら、ブレザーを白い腕へとひっかける。
のぞいていた少女の瞳が黄瀬をもういちどじっとみつめて、それから更衣室の中へ引っ込む。それを見届けてから、今度こそ手持ち無沙汰になった黄瀬は、更衣室の外壁を背もたれにしてその場に座り込んだ。このまま帰るのもタイミングが悪いし、そもそもブレザーを貸した時点で制服が乾くまでは一緒にいないとならない。
今日がオフの日でよかったなあ、とぼんやり思いながら空を見上げていると、
「ありがとう黄瀬涼太」
「こんなことしかできないっスけどね」
中から声がしたから、はは、と頭をかいてから、先ほどのばされた白い腕のその先を想像して後ろめたい気分になる。いい加減にしろ黄瀬涼太。
と、かいた頭をそのまま抱えそうになった時はたと気づく。
「え、名前…」
最初にあったときの態度からてっきり自分のことを知らないものだと勝手に決めつけていた。モデルといってもまだまだ駆け出し、しかもそんなに多くの誌面にでているわけではないから、そういう子が何人かいても不思議ではないと承知していたのに。
「知ってる。黄瀬涼太。有名だし。スポーツ万能。バスケ部一軍。女の子泣かせ」
壁を挟んでの会話だから彼女がなにをしているかは検討もつかないが、ぶつ切りでいわれる自分の批評は心にぐさぐさつきささる。彼女の声が迷いのないものであるから、余計に。
「あと負けず嫌い。自分より何かに秀でてるひとを、いつも欲してる。あと、尊敬するひとには変な愛称をつける」
「…え、なんでそこまで」
「ひみつ」はじめて声に面白味が混ざった。「女の子はちょっとくらいミステリアスな方がいいっていってた」
「えっ、誰が!?」
「ひみつ」
今度こそくすくすと笑う音が聞こえる。どうして彼女がこんなに急に上機嫌になったのかわからなかったが、さっきからにこりとも笑わないし(そもそもずっと壁を隔てているから見ようがないのだが)ただ抑揚のない声でたんたんと喋るから、やはり先ほどの出来事が心に傷をつけているのかもしれないと、若干心配していたので胸をなでおろした。
「あの、…名前聞いてもいいっスか」
「なんで?」
間髪入れずにそう聞き返されるとは思っていなかった黄瀬はぎょっとする。
「いや、俺だけ名前知られてるのってなんか不公平というか、っていうかこういうときはすんなり教えてほしいっス!」とかグダグダなことを述べてしまう。最後とかもう懇願みたいになってるし。
「……みょうじなまえ」
小さな小さな声でつぶやかれた名前はやはり聞いたことがない。
「が、学年は」
「同じ」
「えーと、クラスは」
「ひみつ」
「えっ…!?」ここでシークレット発動である。「じゃ、じゃあ部活は?」
「帰宅…だけど、なに?お見合いでも始めるつもり?」
そう訪ねてくる声はおもしろそうで、彼女の表情がみてみたい、と黄瀬は思う。出会ったときからあまり表情の変化のない(しようがないともいえなくはないが、)彼女はきっと今、その表情を綻ばせているはずだ。
そう考えただけでなぜか心が暖かくなる。彼女のことがもっと知りたい、あわよくばもっといろんな表情が見てみたい。
まずは彼女のクラス探しから、はじめてみよう。
120707 織間