なまえ、今日もうあがっていいわよ」

「え?」

 まだ夜は更けてきたばかりの11時だ。お店が開いてから5時間しか経っていない。休憩をいれて、あと4時間は働けるはずだ。
 まさか、この間草薙が来た際の失態や、その後の欠勤の影響で、シフトが減らされたり―――と、なまえはさっと青ざめた。
 そんななまえをあきれたように見たシホは、

 「上の空すぎ」びしり、となまえを指さす。「どうせなにか心配ごとでもあるんじゃない? なまえがそんなんなるってことは、どうせタケルくん絡みでしょう」

「…シホさん、」

「異論は認めない。わかった?」

 シホは細い腰に手をあてて小首を傾げる。仕草こそかわいらしいものの、そこには絶対的なオーラがある。大して年も変わらないのに、親の七光りだけではないシホの影響力というものがみえて、なまえはかなわないな、と苦笑いした。

「…、うん」

「本調子になったらビシバシ働いてもらうからね。あんた、最近欠勤もあったことだし。じゃ、気をつけて帰りなさい」

「ありがとう、シホ」

「ん」

 心からの感謝を伝えるために親密な言葉づかいでそう告げると、シホにしては珍しいくらいの優しそうな笑みで短く答えられたあと、ヒールを鳴らして表へと戻っていった。
 ほんとうにお世話になりっぱなしだなぁ、とひとりロッカールームで苦笑いする。何かお礼をしようにも、シホのような女性になまえが贈り物をしても意味がないだろう。もともと持っているものの格が違うのだ。
 だからせめて、ここに、“この町にいるかぎりは”精一杯シホのために働こう。
 心の裡で見え隠れし始めた現状の打開策を秘めながら、心の中でそう決めた。



「あの、こんばんは…」

 もうすぐ日付も変わろうとする時刻、草薙のバーにたどり着くとまだ煌々と明かりがついていたので、無駄足にならなかったことに安堵する。
 非常識だとはわかりつつも、一度訪ねておきたかったのだ。タケルがいれば連れ帰ろうと、いなければ熱の夜の件を周防に訪ねようと思って、おそるおそるドアを押して顔を覗かせた。

「あれ?なまえちゃん、仕事は?」

 タケルのいうとおり、今日は誕生会だったのだろう。折り紙でつくった赤いわっかを連ねたものが飾ってあったり、赤い花が飾ってあったり、赤い紙吹雪のようなものが床に散っていたり、なんだか妙に赤尽くしなのが少し気になるが、全体的にパーティーのような雰囲気になっていた。
 変わらずバー(ここにも赤いクロスがかけられている)にたたずむ草薙をみて、とりあえず起きている人がいることに息をついた。左手にあるソファや飲食席のスペースをみると、酔いつぶれているのか寝転がっている人物もいる。
 とりあえず外の寒い空気を中に必要以上運び込まないように一歩店内に入り、伺うように草薙を上目遣いでみる。

「今日ははやめにあがっていいといわれたので…タケル、まだここにいるかなと思って」

「あー、うん、いるっちゃあ、いるんやけど」

「? どうかしたんですか?」

 きょろきょろと店内を見回してみても、タケルのような人影はない。
 草薙と十束に視線を送ってみるものの、ふたりともその表情には苦笑いを浮かべている。思わず下がり眉になって、周防をみてしまった。
 目があって慌ててそらそうとするが、そのまえに周防がため息をついて目を伏せた。

「2階で寝てる」

「え」

 どうして、と思わず咎める調子で草薙をみると、いやぁ、と頭をかいて、目をそらされる。

「さっきまで起きてたんだけど。はしゃぎすぎて疲れてうとうとしてたみたいだったから、アンナと一緒に上行かせちゃったんだよ。なまえちゃんがこんな早くくると思ってなかったし、」

 十束はいつものにへら、という笑い方に少しの謝罪を滲ませる。

「起こしてこようか?せっかくなまえちゃんきたんだし、一緒に帰った方が安心だよね」

 「あ………」たしかにそうかもしれない、となまえは考えたが、今日までのタケルとの諍いを思い出すと罪悪感の方が勝ってしまって、口を噤んだ。「ううん、いい。明日の朝迎えにくるから、それまで預かっててもらってて平気?」

 そう返答したなまえが予想外だったのか、十束と草薙はすこし目を見開く。「まあ、なまえちゃんがいいなら、こっちとしてはどうってことないよ。ね、草薙さん?」

「まあ寝かしとくだけやしなあ。うん、ええけど」

 自分たちが二の句を告ぐ前にタケルを無理矢理にでも起こして脱兎のごとく去っていくだろうと思っていた草薙と十束は、あまりにあっさりとしたなまえの対応に拍子抜けして、逆にこちらが本当にこれでいいのかと逡巡するほどだった。
 そんなふたりの様子に気づかないのか、気づいているのに無視しているのかさえわからないまま、なまえはドアへと体を向けた。

「じゃあ、夜遅くにごめんなさい。タケルのことよろしくお願いします」

 タケルをおいて帰るといっても草薙たちに心を許したわけではないというように、そそくさと帰ろうとするなまえをみて、草薙と十束が少し眉を下げたときだった。

「おい」

 ソファにふんぞりかえってひとりで酒を呷っていた周防が、突然になまえを呼び止める。
 その周防の言動に起きている者は一時停止をかけられ、普段からひょうひょうとしている十束さえも驚いたように何事かと周防をみやった。
 店内の視線がすべて自分に向いていることを意にも介さずにのそりと起きあがると、ドアの前で硬直しているなまえをまっすぐにみる。

「送ってく」

「え?」

「は?」

「おお!」

 なまえは困惑し、草薙は呆気にとられ、十束はなぜか盛り上がった。



「…ええと、送ってくれて、ありがとう」

 結局あの状況で断ることもできず(そもそもなまえが断ろうとなにをしようと、周防に確固たる意志があった場合それは付いていくという行為で達成されてしまうし)、帰路を共にしたなまえと周防は、なまえの自宅アパート前に立っていた。
 送っていくといった周防は、本当に送ることだけが目的だったようで、帰り道の途中でなまえになにか言葉を投げかけるようなこともなかった。
 密かになにか問いただされたりするのではないかとおびえていたなまえにとっては願ったりかなったりのような、期待はずれのような、なんともいえないことだったが。

「…お茶とか、飲んでく?」

 なまえはそう言ってから、しまった、と思った。
 間が悪かったかったからって、自分たちの関係からして、いくらなんでも無神経すぎるだろう、と。
 でもきっと周防のことだから、もしかしたら断るかもしれない、いや断られるだろうな、と苦笑いしながら見上げると、

「ああ」

 存外真剣な顔をした周防が自分のことを見下ろしていたため、なまえは二の句が告げずぽかんとしてしまった。

 ちらりと居間のほうを盗み見ると、周防は気だるげな視線でなまえとタケルの部屋を見渡していた。
 周防尊が自分の居間にいる。
 ただそれだけのことなのに、もう別れを決意したはずの間柄の周防がそこにいるだけで、なまえは泣きそうになっている自分に気づいた。
 気づいてあわてて何度も瞬きすることでそれを引っ込めて、急須にお湯をいれ、おぼんに二人分の湯呑みを用意して居間へともどった。

「熱いから気をつけてね」

 ついタケルにいうようにそういいながらお茶を出してしまって、カタンと湯呑みをおいた音が妙に響いてしまった。

「………」

「あっ、ご、ごめん、悪気はない」

 手にもったおぼんをちゃぶ台の横において、周防の向かい側に座る。
 何か話すこと――と考えたところで、さっきまですっかり忘れていた案件を思い出す。
 これ名案とばかりに、なまえは確かめねばならないと思っていたことを繰り出した。

 「あのね、この間タケルがそっち行っちゃったとき、つまりわたしが熱出してたときのことなんだけど」まったく揺れない湯呑みのなかの水面をみながら話しはじめる。これはふたりのときにしかできない話だとおもっていた。「周防くん、うちに来たって、ほんとう?」

「…覚えてねーのか?」

「う………うん。あんまり覚えてなくて、多々良くんが来てくれたってことは覚えてるんだけど」

 いいながら、そういえばあのとき着替えさせてくれちゃったりしたことを思い出して、思わず頬が熱くなる。
 それをごまかすように顔を上げると、ハッとするほど不機嫌な顔をした周防がじっとなまえをみつめていた。

「え、」

 なまえが何かをいう前に、唐突に延びてきた手が、なまえの肩をつかみ込んだ。周防はちゃぶ台の横から回り込んで、なまえの真横に体を移している。
 そのままぐいと向き直る形にひっぱられて、なまえがその状況を理解する前に、周防はなまえの首筋を舐めあげた。

「やっ…!? 周防くん、なに、ちょっとまって、だめっ…」

 必死に押し退けようと手で押し返すが、予想通りというかなんというか、びくともしない。
 それでも周防にとっては煩わしかったらしく、なまえの首もとに顔を埋めたままぴたりと止まった。

「…なにがダメなんだよ」

 その囁いた声はなまえの記憶にある周防よりいくぶんか低く艶やかで、それが耳元近くで聞こえたことにびくりとする。
 この状況で今からなにをしようとしているのかわからないほどなまえは初ではない。驚愕と焦りで満たされている頭を必死に回転させる。

 「いや、あの、わ、たし…明日、仕事あるし」これじゃあ行為自体はイヤではないと言っているようなものだと気づいたなまえは「タケルもいるし、こういうのはふつうにダメ!」と腕を突っ張って無理矢理距離を置いた。
 そして距離を置いたことを深く後悔する。
 周防の顔が、なまえの目と鼻の先にあった。
 声も体格も髪型もにおいも、なにもかも昔とはちがったのに、なまえを見つめる目だけは変わりがなかった。その目を見た瞬間に、押さえていたはずの、我慢しようとおもっていたはずの愛しさがこみ上げてきて、それ以上の拒絶ができないことを悟る。

 ――みこと。尊。好き。誰よりも好き。ずっとずっと大好き。

 耳の奥でまだ若い頃の自分が囁く涙声が聞こえる。いまそのいとしいひとが目の前に、いる。
 あのとき、ここから、このひとから離れるときに、もう二度とふれあえることはないかもしれないと覚悟したはずなのに。
 こんなに、近くにいる。

「………人妻、か」

 周防がそう低い声で囁いたのを耳でひろい、一瞬で現実に引き戻された。違うよ、と、とっさに口をついてでてきそうになった言葉をかろうじて飲み込む。
 これであきらめてくれるだろう、とどこか残念に思ってる自分に辟易しながら周防を見つめ返すと、口の片端だけをあげて笑っていた。
 え、と戸惑ったのはなまえのほうである。

「そっちのほうが…興奮する」

「は、はあ!? え…ちょ、ちょっと、っあ…」

 突っ張った腕など意にも介さず、なまえの背中にするりと腕をしのびこませてきた。背中を直接撫でる堅く熱い手のひらに思い切り反応して、期待して、結局はそういう自分がいたことに気づいて、すこし絶望する。

「や、やめ…!ひぁっ」

 はいあがってきた手が、そっと下着のホックを引っ張ってはずした。緩くなった下着が胸にこすれて、くすぐったくて首をすくめる。
 未だに抵抗を続けるなまえの両手を片手であしらいながら、周防のもう片方の手がなまえの服の裾がつかんだのを感じた。
 このままではだめだ、流されてしまう。
 そう思ったなまえはとりあえず周防の身体を押し返そうとしていた両手を下げ、服の裾をしっかりと握りこんだ。
 そしてなにやら不満そうな、なんで止めるんだよとでも言いたげな瞳でじっと見つめてくる周防の視線から逃れるためにそっぽをむいて、せめてもの反撃にと言葉を絞り出す。

「す、周防くんにそんな趣味があるなんて知らなかった…!」

 なんだか負け惜しみに聞こえる。
 でも、そういうことを知ってなまえがショックを受けたのも事実なのだ。自分がいなかった6年間が身に迫ってきて、くるしい。
 ちらりと周防のほうに視線だけ向けると、予想外にもきょとんとした表情をしていた。こんなきょとんとした顔、つきあっていた頃もみたことがない気がする。なまえは思わずまじまじとみてしまう。
 そしてもう一度目がしっかりあった瞬間、周防はふっと吹き出した。

「………おまえだから、いいんだろ」

 あんなに一方的にいなくなったのに。
 なにもいわずにいなくなったのに。
 まだ彼はそんなことを言ってくれるのか。たとえそれが本当に言葉じゃなかったとしても、なまえにとってはなによりもうれしい言葉だった。

「すおうく、んっ」

 なまえは自分でもなにを口にしようとしたのかわからなかったが、ひらこうとした瞬間にキスされていた。まったくもって身構えていなかったため、まるで最初からそういうものであったかのように舌が入れられる。

「ん…んっ」

 周防の左手がなまえの後頭部をがっしりと押さえているため、逃げることができない。
 驚いて苦しくて、それでも口の中をうごめく舌はまったく容赦がなくて、なまえは思わず押し返そうと周防の胸板に両手をおいて力を入れた。
 そしてなまえの両手が裾から離れた瞬間、周防の右手がするりと入ってきて、おなかを撫であげる。びくりと反応するものの、ぜんぜん押し返せないし息は苦しいしでまともに声をだすこともできないなまえは、周防にすがりつくしかなかった。
 ぎゅっと周防の着ている服を握りしめる。
 周防が覆い被さるように体重をかけてくるので、ずるずるとそのまま座っている場所からずれてしまう。
 背中が床についた時点で、やっと口づけが終わり、自由になった。
 浅く息をするなまえの顔の右側に、周防の左手がある。

「だ、だめだよ、すお、」

「…なんで“周防くん”なんだよ」

「え…だって、…うあっ」

 すねた子供のように小さくもらした周防の言葉に答えようと口を開いたら、服の中に入っていた周防の右手が下着を押し上げて胸に直接ふれてきた。
 突然のことに驚いて、あわてて両手を口にあてる。

「…んっ…や、やめ…っんぁ」

 必死に声を押さえるなまえを懐柔するように、やわやわと胸の膨らみをもまれる。
 こんな経験、なまえにとっては本当に久しぶりなのだ。
 周防に別れを告げてから、つまりタケルがうまれてから、そんな機会は一度もなかった。言い寄ってきた男性がいなかったわけではないが、タケルを育てるのに必死でそちらにかまけている暇がないうちに離れていく。
 いったいどうしてこんな状況に陥ったのかさえ少しわからなくなり始めて、必死に自分の肩口に顔を埋もれさせるように息を荒げているなまえの横顔に、周防は何度もキスをする。
 耳にダイレクトに響くリップ音と、胸をいじられることで断続的に与えられる快感に涙さえでてきた。

「………なまえ

「も、もうやめ、…んぅっ、あっ」

 甲高い声が自分からあがるのが恥ずかしくて恥ずかしくて耐えきれなくて、右手の甲を口に押さえつけて必死に声を我慢していると、ふいに手が止まった。
 とどめられない声に追いつめられかけていたなまえは不思議に思って、きつく閉じていた目をあける。
 見上げた周防はなまえではなく、玄関の方を凝視している。
 何事だろう、と思ってなまえもその視線の先を追うが、そこにはなにもない。
 とりあえず行為が停止したのだからすぐに逃げ出すべきなのだろうが、覆い被さってきている周防が身動きもしないため、なまえもなんとなく動くことがためらわれてしまった。
 静寂が支配した薄暗い部屋で、聴覚だけが鋭くなってきたとき、なまえはドタドタドタという階段を駆けあがると音を聞く。

「ちょお、タケルくん、待ちぃ!」

「いやだ!なんで起こしてくれないの、おれ、なまえより先に帰んなきゃいけなかったのに!っていうかなまえがきたなら俺も帰るし!」

 深夜の時間帯には聞こえるはずのないような幼い声と、それを追いかける男性の声。
 それはなまえと周防にとっては聞きなれすぎていた声だった。

「…えっ」

 つい今の今までなまえと周防しかいなかった脳内が、一瞬で理性をとりもどした。
 なまえは周防の服を握っていた手を開いて、思い切り押し返す。

「で、でていって!」

 ぐいぐいと押すものの、周防はなにを考えているのか動かない。
 こんな深夜だろうとタケルにとっては関係ないらしく、けたたましくドアベルがならされる。

「タケルくん、夜やからちょっと静かに、」

「うるさいうるさい!っていうかみことが送っていったってどういうことだよ!中にいんの!?なまえー!あけて!なまえーーーもがっ」

「静かにせえって!ほら、今からなまえちゃんに電話したるから!」

 室内から聞いていても外の様子がありありと浮かぶ。
 外と動かない周防とを交互にみて、なまえは思い切って周防の下から声をかける。

「おねがい、先にでて行ってて、すぐいくから」

「………やだね」

 なにを考えているんだかまったくわからなかった。
 マナーモードのままの端末が鞄の中で震えている。タケルは今鍵を持っていないが、このままだと草薙の制止を振り切って暴れ出しかねない。なまえはその様子がありありと浮かぶから、なにがなんでも必死にならねばならなかった。

「キスしろよ」

「はぁ!?」

「キスしたら、とりあえずどいてやる」

 わけがわからないくらい横暴な提案に、なまえは頭がショートしそうだった。

「いたあっ!なにすんねん、こんのっ」

 静かだったドアの外で草薙の声があがると同時に、がんっとドアが蹴られる音がした。
 その音でなんとか意識をもどしたなまえは、ドアの外で繰り広げられているであろう攻防戦を脳内に描いて、刹那の間逡巡し、決意を固めた。
 押し返していた両手で周防の顔を両側から挟み込み、思い切り引っ張る。
 目をつむったまま、押しつけるように唇を重ねた。

「いますぐ、でていきなさい!」

 真っ赤になりながら涙目で見上げられて無理矢理にでも続けてやろうかと周防は一瞬考えたが、外から聞こえてくるやかましい声に背中を殴られ続けたので、仕方なしとため息をついて、玄関へと向う。



 ドアが開かれて、でてきた周防を挑戦的なまなざしで迎えたタケルは、そのままぴゅっと家の中に入っていこうとするが、周防にすくあげられるように止められて、仏頂面で玄関の前に立っていた。
 その両側には、周防と草薙がそれぞれ立っている。まるで授業中にしかられて廊下に立たされている問題児たちのような光景だった。

「なんか、タケルくんと尊は、似た者同士みたいやなあ」

「こんなオッサンとおなじにすんイテテテテ」

 タバコをふかしたまま何気なくいった草薙にかみつくように反論したタケルの頭を、周防は片手でぐわしっと握りこむ。

「…こんなうるせーガキと一緒にすんじゃねえ」

「イテェな、はなせよみこと!ちくしょう!バーカバーカ!」

「こういうのはなまえちゃん似ではなさそうやもんなあ」

 苦笑いしてふーっと煙を吐き出しながら、頭をつかんでいる周防の手をはずそうともがいているタケルをみやる。
 草薙のなかのなまえはいつも真面目で、分をわきまえているというか、自己主張の強い性格ではなかった。それゆえに周囲からおとなしくみられていたらしく、外見は同年代の女子とは比べものにならないくらい整っていたのに、あまりに落ち着きすぎた雰囲気も相まって男らしい男が近づいてきたことはあまりなかったように思う。

「…アイツも」

「ん?」

「喧嘩すると、こんなんだった」

 いつもと違う声色を不審に思って周防をみやると、「ちくしょう、足がとどかねー!ばかにしやがって!はなせってば!」とじたばたするタケルを、複雑そうな視線で見下ろしていた。
 自分の知らないところでそだった、草薙もしらない、周防だけが知っているなまえの本性を宿している少年。
 周防はどう扱っていいのかわからないのだ。なまえに今夫がおらず、タケルが父親無しで寂しい思いをしていることもわかっている。それでも、その空白の座にいた男の存在を、このこどもをみるたびに周防はイヤでも思い出してしまう。

「………尊、離してやり」

「………」

 ――めんどくせえ。
 周防はそのひとことで全て心の奥におしやった。

20130318 織間