なまえとタケルが帰ったあとの、昼間の陽光が差し込むバーで、十束多々良はむくれていた。

「草薙さん、どうしてあそこで遮っちゃうわけ?せっかく俺が勇気だして核心に迫ったのに」

 むう、と頬を膨らませる成人男性をみて、草薙は長いため息をついた。

「勇気やなくて、はやり気や、あれは。あんな聞き方して、なまえちゃんがはいそうですとかいいえ違いますとかあっさり答えると思ったんか、アホ」

 そうぴしゃりと言い換えされて、十束は口を引き結ぶ。
 たしかに、タケルの生年月日から得られる状況証拠を手に入れて、はやく結果が得たいと思っていて、それができると過信していたのも事実だった。

「でもあそこでああいう風に遮られたら、まるで俺がなまえちゃん虐めて、草薙さんが庇ったみたいな構図じゃん…納得いかない」

 そういってぐだーっとソファテーブルに突っ伏す十束に苦笑いする。

「そっちが本音かおまえは。――たぶんなまえちゃんは庇われたーとかそんな図々しいこと思うような子じゃあ、あらへんと思うけどなあ」

 言いながら頭になまえの姿を思い浮かべる。
 もういい、と草薙が遮ったときの、あの顔。手ひどく裏切られたような、顔。
 裏切ったとか裏切られたとか言う以前の話なのに、なぜ自分たちが悪いことをしたような錯覚に、たとえ少しでも浸らねばならぬのだろう、と草薙はため息をついた。

「…でも、ほんと、生殺しもいいところだよ」

 核心に迫ったときのあの反応。なまえは肯定も否定もしなかったが、それは確実になにかを隠しているという肯定になる。
 やましいことがあることは最初からわかっている。それに、周防をはじめとする自分たちが、どう関わっているかが問題なのだ。

「キングにはどこまで言うの? わかったこと全部?」

なまえちゃんのことが関わると、尊はなに考えてるかホンマにわからんからなー。もうなんか全部知ってそうな気がしてくるから、あなどれん」

「たしかに」

 決して自分から行動を起こすような人物ではないが、何かことが起こる前にはすべて終わらしているような性質だった。それが王たる威厳に繋がっているように感じられるからこそ、チーム吠舞羅は集まるのだろう。

「とりあえず、核心と、それに繋がりそうなことは裏がとれるまで、伏せとき。結果が出次第、教えればええやろ」

「あ、最終的に、言うんだ」

 ひょこり、と起きあがった十束が、ソファの背もたれに腕を預けながら草薙にへらと笑い掛ける。
 心配性の草薙のことだから、もしかしたら本当のことがわかっても、その状況次第ではなかったことにしそうだ、くらいに思っていたのに。

「尊にも知る権利くらい、あるやろ? それに――」

 ――今のなまえちゃんは、あんまり幸せそうやあらへんし。
 草薙はいつのまにか十束に背中を向けていたから、瞳を伏せていた草薙の表情を見るものは誰もいなかった。
 十束はしばらく無言で、それから頬杖をつきなおして首を傾げた。

「裏とる伝でもあるの?草薙さん」

「………伝っていうか、当てやけどな」

 その草薙が浮かべたなんともいえない表情をみて、十束はある人物が頭に思い浮かんでしまった。

「…え、それ、大丈夫なわけ?」

「だから言うたやろ、当てや、って」 

 たぶん、今日あたりに来るだろう、と先ほど在庫を確認した多量のあんこを思って、胸が灼ける思いだった。



 セプター4副室長、淡島世理は、いつもの隊服でなく私服を身にまとい、結い上げている髪をおろして、完全にオフな出で立ちでバーを訪れていた。
 いつものように他愛のない世間話をして、閑話休題したところで草薙は意を決して話をもちだす。

「――今日はちょっと、世理ちゃんにお願いがあるんやけど」

「…あら、珍しい。なにかしら?」

 バーのマスターとして聞き手に徹し振る舞う草薙が、そう淡島に持ち出すのは珍しいことだった。
 淡島は傾けていたカクテルをカウンターに置いて、ごそごそと用意していた“何か”を持ち出す草薙を見やる。
 コトリ、とバーのカウンターに置かれたのは、白い物体が入った小瓶である。

「なにかしら、これ」

「ティッシュ、にくるまれた毛髪」

 仮にも飲食店で、毛髪という単語がでてきたことに顔をしかめて、草薙を睨む。考えも無しにそんなことをする輩ではないと淡島は把握しているからこそ、冷静に見据えた。

「で、その毛髪を、どうしてこの場で出したのかしら?」

 トントン、とバーカウンターを人差し指で叩くと、草薙は少し押黙ったあと、自分を納得させるように浅く頷いて、淡島を見返した。

「親子鑑定してほしい」

 いつも飄々としている態度からは想像もできないほど真剣な声色でそう告げる草薙に、淡島は瞠目した。

「………………あなた」

 いつまでたっても得体の知れない男だとは思っていたが、そういうことはしっかりしていると、一応は評価していたのに。
 淡島がそんな感じで完全に軽蔑した瞳を向けてくるものだから、草薙は面を食らって慌てた。

「えっ、あっ、俺ちゃう、ちゃうで!」

 必死に弁解するも、未だに淡島の瞳は冷たい。永久凍土だった。
 いままさにツンドラという呼称を身にまといかけている淡島は、冷えきった声で問い返す。

「じゃあ、いったい誰の?」

 探るような視線を向けてくる淡島に、草薙はすこし困り気味にほほえんで、くい、と上の階を指さした。
 その行動が示す意味に、淡島は目を皿のようにまるくする。開いた口が塞がらないという慣用句のお手本みたいな表情だ。

 「あ、赤の王…!?」その声は若干裏返っている。「じゃあ、これっ……」

「それがわからんから、頼んどるんよ、世理ちゃん。どうせウチの大将のDNAサンプルくらい、採ってあるんやろ? それにちょちょい、と参照してくれるだけでかまへんから」

「………、そんな簡単な話じゃないのよ、これは」どうしてオフの日にこんな話を聞かねばならぬのだ、という風にこめかみを押さえた淡島が恨めしげに草薙を睨んだ。

「そっちにとっても、悪い話ではあらへんやろ?」

 あくまでも食えない風にそう言いのける草薙を一瞥して、淡島は頬杖をつき、ため息をはく。

「………結果によるわ。でも、わかってる?どんな結果がでても、わたしに頼んだ以上“そういう可能性の存在”は、室長にも伝わるっていうこと」

 休日の女性的な出で立ちをした淡島から、いつものぴっちりとした軍人じみた雰囲気がすこし漏れ出ている。それくらいに、ことは慎重に運ばねばならないことだ。
 組織的な括りでみれば決して友好的ではないにしろ、淡島と草薙の間には共通項がもたらす信頼関係がある。お互いがNo2としての、理解と同情が。
 しかしそのような関係があったとしても、淡島にとっての室長、宗像礼司は絶対だ。草薙にこの場で全力で内密にしてくれと頼まれても、淡島にはそれはできない。

「わかっとるよ、世理ちゃん」

 さきほどまで見せていた困り気味な笑顔とも苦笑いとも違う、悲しみを含んだ笑顔で草薙はほほえむ。

「…救われるのは、尊だけじゃ、あかんのや」

 会話はしているものの明らかに独白の体でつぶやかれたその一言の意味は淡島には把握しかねたが、それを追求するほど淡島は場の機微に疎くなかった。



「だめです」

「だめじゃないです」

「だ・め・で・す!」

「だめじゃ、ないです!!」

 先ほどからずっとこの手の押し問答が続いている。
 なまえはちゃぶ台ごし正面に座る、くりくりとした目を精一杯見開いて一歩もひかないんだぞという意気込みを表現しているこどもに内心ため息をついた。
 草薙たちのバーから逃げるように帰ってきたのがつい先刻、今はまだ夕方である。帰り道で号泣して疲れて今日は早く寝るだろうと油断していたのもつかの間、いつのまにか終わりの見えない口論に突入していた。
 その原因は、タケルがアンナの誕生会にいきたいととゴネはじめたことだ。
 タケルはタケルで最初「いってもいい?」とかわいらしく訪ねてきていたのに、なまえがとんでもないと首を横に振るばかりだったので最終的に拗ねはじめてしまったらしく、いまではなまえと同じような口調でしか会話を返さない。
 ちょうど今さっきもうあまり関わらないようにしようと心にきめたつかの間、どうしてこんなことにとなまえははがゆい気持ちに閉口する。そもそもタケルに避ける理由も、いやむしろ彼らを避けたいというなまえの主張さえ説明していないので、なまえが理不尽にタケルの願いを却下し続けているように思われても仕方がないのだが。

「逆に聞く」

「はい?」

 唐突に断言するよう宣言したタケルに首を傾げる。ひとりっこであったなまえは、ものごころついたとき幼いこどもが周りにいなかったため、いまの6歳児の平均的な思考力などあやふやであったが、こうやって接している限りタケルはかなり利口なほうにはいるのではないだろうか?と若干親バカながら身構える。

「なんでいっちゃだめなの。アンナはだいじな友達で、たんじょうびは一年に一回しかないだいじな日だって、なまえはいつもいってるじゃん。だいじなひとのだいじな日は、ちょうだいじなことだとおもう」

 ぐ、と言葉に詰まる。
 タケルのいっていることは、なまえにとってまったくの正論だ。
 6年間一緒に一番ちかいところですごしてきて、そういう育て方をしたのも自分で、それが正しいと思っていることしか教えていないから、あたりまえのことである。
 そもそもなまえだって、タケルの友人の誕生日を祝うなといっているわけではないのだ。彼らさえ関わっていなければ、笑顔で送り出せるはずなのに。

 「…でも、誕生会は夜でしょう。なまえは明日お仕事なので、送り迎えができません」苦しいいいわけだと思いつつも、足掻かずにはいられない。「もしかしたら草薙さんたちが気を利かせて、送り迎えを申し出てくれるかもしれませんね?でも、それは迷惑をかけることになるので、やっぱりだめです」

 肝心の“一年に一度のだいじな日”という定義にはふれずに、事実だけで反論する。
 タケルがわがままをいうことは、ほんとうに、ひじょうに少ない。一度くらいのわがままくらいなら許容していいはずなのに、なまえなまえのエゴで、それを却下する。
 一度皿のように目を見開いて、そのあと俯いて落ち込んでしまったタケルに、かける言葉がない。

「いいよ、なまえがいないあいだに、かってにいっちゃう。そんでかってにかえってくる」

 むっすーとした顔のままそう呟かれた言葉を拾って、なまえは思わずポカンとしてしまった。
 タケルが正々堂々、真正面からなまえの言いつけを破ることを宣言したのだ。
 それは未だ嘗てないことで、なまえはとっさに言葉がでてこない。
 どうしてそこまでアンナに、あの場所に執着するのかなまえには理解しかねた。タケルは友達が少ないほうではないし、むしろ囲まれて育っている。にも関わらず、今まで思わず自惚れるほどべったりだったなまえより、出会って数日の彼女たちを優先したのだ。

「…誕生会はいつですか?」

「あした」

「………」

 心の中で葛藤する。
 なまえにとって一番大事なものはタケルだ。タケルを守るためなら、なんだってできる。でも、タケルはいまそのことを望んでいないのかも知れない。なまえがタケルの願いを却下し続ける本当に理由を、知っている人はいないからだ。
 ――でも、それでも。

「…わかりました」

 なまえが顔を俯かせたままいった言葉に、タケルがはじかれたように顔をあげる。

「えっ、じゃあ、」

なまえは明日、お仕事に家の鍵と、そのスペアを持っていきます。タケルさんがなまえに黙って家をでるというなら、鍵をかけずにでていくことになります」

 なまえは自分がどれだけタケルにとってひどいことをいっているのか自覚があったから、タケルの顔を見ることができない。

「でもそれは危ないことだって、タケルさんならわかりますね?」

 正座をしたまま、膝の上で拳を握りしめる。顔をあげることはできない。
 ぱたり、と床の上に落ちる涙の音だけが、妙に耳に残った。



「なーんて、なまえはあまい、あますぎだよね」

 翌日、つまりアンナの誕生会当日である。
 昨日の夕刻からなまえとタケルは必要最低限の会話しかしていない。タケルが避けているというよりむしろ、なまえのほうが後ろめたいことがあうようで避けているように思える。
 しかしタケルの頭の中は別のことでいっぱいいっぱいだったため、もちろんそんななまえの様子に気づくわけもなく。

「おれがそんなことであきらめるわけないのにね」

 先ほどから誰かに話しかけるような口調で、腕をくみながらうんうん頷く。なまえを送り出した玄関で仁王立ちである。

「さてと」

 タケルはとたたーっと部屋に戻ると、そのままちゃぶ台を通りすぎ、テレビの前を素通りし、ベランダへでる窓へと一直線に向かった。
 窓ガラスに張り付いてなまえが道の向こうに消えるのを見送ってから、ニヤリと笑う。
 カラカラ、と築云十年にしては軽快な音をたててあいたガラス戸から外にでると、12月の肌寒い空気が身にしみるようだった。

「あっ」

 そこでハッとしたタケルは部屋に戻り、ストーブを消し、玄関の鍵を確認する。
 タンスを開き、もう一枚トレーナーをきて、コートを着込み、靴を持つ。

「火の元よし、鍵よし、電気よし」

 うん、と頷くと、ベランダへと舞い戻る。
 タケルは柵からそっと下をのぞき込み、そこから右、左と視線をめぐらせ、人がいないことを確認した。
 また一つ頷き、そのまま右にあった室外機に足をかけてよじ登る。壁に両手をついてバランスをとりながら、なんとか右方の柵に立ち上がると、隣の部屋との間にあるパイプに手をかける。
 なまえがみたら叫び声をあげそうなくらい常識破りなことだったが、タケルはそのパイプを握り込むと、壁に両足をついてするすると降りていった。
 タケルはもともと運動神経がいいほうだったこと、なまえたちの住むアパートが外見よりしっかりした造りだったことが今回の計画のキモである。タケルは以前からこのパイプがあること、自分程度の体重ならかかっても問題はないことを知っていた。
 何事もなくすたっ、と地面に降り立つと、タケルは今さっき自分がでてきたベランダを下から見上げる。部屋は角部屋だし、隣の部屋はたしか老夫婦が住んでいる。ベランダの鍵が開けっ放しでも、問題はないだろうとタケルは考える。
 戻るときどうするということをタケルは思案していなかったが、そのことには気づかないまま、ただ自分の達成感に笑顔がこぼれ落ちる。
 そのときふと、俯いたまま顔をあげないなまえのことが思い出されたが、それはこのあとある楽しみにしていた誕生会のことで塗りつぶされてしまった。
 タケルはくるりと振り返ると、すっかり日暮れが早くなった冬空の中駆けだした。



 8時を回った頃。
 なまえは部屋にひとりのこしてきたタケルのことを思いながら、化粧ドレッサーの前で口紅を塗り直す。
 とくに指名が入ることもなかったから、ヘルプで入った女の子と入れ替わるように抜けてきて、つかの間の休憩である。
 タケルにとってはこれ以上ないくらいひどいことをいったはずなのに、タケルのなまえへの態度は殆ど変わりがなかった。その事実が、そのことを自分しか気にかけていないということがなまえの罪悪感ばかりを刺激して、思わずため息が多くなる。
 正しいとか正しくないとかじゃない。
 今までしてきたことを曲げないために、突っ張ることしかできないのだ。
 いきすぎた速度をブレーキを使わずに止める方法がわからないように、なまえはもうどうしようもないくらいいっぱいいっぱいだった。
 十束や草薙、そして周防との再会と接触は、予測されていたものとはいえ、予想以上の影響をなまえとその周りに及ぼしていた。
 身動きがとれないなかで、誰にどう助けを求めたらいいのかもわからないまま、タケルを抱えて進む前に道はないように思えてしまう。
 そんな沈んだ気持ちで天版に肘をついていると、聞きなれた着信音が耳にはいる。はいってしまった。
 ――まさか。
 前にも覚えのあるこの胸のざわつきに、なまえは目を見開いて自分のバックを漁る。
 探り当てた震えている端末を両手で持ち上げて、最近着信履歴を埋めつつある番号の表示された液晶をみて、そっと通話ボタンを押した。

 ――もしもし。

 名乗りはしなかったが、声でわかる。

「…多々良くん」

 つい先日会って話したばかりなのに、なまえのこころが彼らを拒絶し続けていたせいか、妙に新鮮なものに聞こえた。

 ――タケルくんが、アンナの誕生会にきてるんだけど、

「………はぁ」

 十束から連絡が入った時点である程度予測はしていたものの、そうでなければいいと強く願っていただけに落胆が激しかった。
 あのタケルが、不用心なことをしてまで家を抜け出してバーへ向かったのかと思うと、よくわからない悔しさのようなものがこみ上げてくる。

 ――やっぱりなまえちゃんだめっていったんだ?どうやらベランダからでてきたらしいんだよね。タケルくんに聞いても否定するけど、アンナがいうからたぶん本当。

「ベ、ベランダ…!?でも、うち、二階なのに」

 ――うん。とりあえずまぁ、ピンピンしてるよ。たぶん排水管とか伝って降りたんじゃない?

 そこまでしていきたかったのか、とタケルの思いをはかり間違えていたことに気づいたなまえは、思わず手を額に当てて頭痛を押し込んだ。

 ――…おこらないであげてね。

 記憶にある十束の声のなかで、一番優しい声音でそう告げられる。

 ――なまえちゃんの俺たちと関わりたくないっていう気持ちと、タケルくんの気持ちは別のものなんだから。

 きっと十束なりになまえを傷つけずにタケルを庇おうとした最善の結果だったのだろう。
 しかしそれは確実になまえの葛藤の核心を寸分違わず射てきていたから、なまえは言葉を失う。

 ――いま、仕事なんだよね?タケルくんが誕生会にきてくれてアンナすごいうれしそうだから、今日だけは許してあげてくれないかな。もちろん、ちゃんと家まで送る――っていってもそうか、鍵がないのかか。まぁ、なんとかするよ。

 十束はまだ端末の向こう側でしゃべりつづけているが、なまえの脳には先ほどの言葉がこびりついていて、生返事しか返せない。
 なまえの秘める想いなど誰にもわかるはずもなく、ただ夜ばかり更けていった。

20130315 織間