その夜その場所にたどりついたのは、周防尊のちょっとした気まぐれがおこした、偶然だった。

 午後の微睡みから冷めるとすでに部屋は真っ暗で、下からいつもとかわらない騒ぐ声が聞こえた。腹の中もすいていたし、たっぷりと昼寝をとったあとではすぐに眠ることはできそうにもなかったから、自然と足は階下へ向かった。
 周防がドアをあけて入れば左右から挨拶か飛んでくる。周防はそれにかるく答えてカウンターに座ると、なんともいえない視線を向けてくる草薙がいた。

「………なんだよ」

「えっ、ああ、いやあ、なんでもあらへんよ」

 絶対なにかあんだろ、と思ったものの、周防は寝起きの頭でそれ以上さぐり合いをするのが面倒くさく、小さく息を吐いて「腹が減った」とひとこといった。

「おはよう、キング」

 横の椅子が引かれる音がして見れば、十束が腰かけてこちらに笑顔を向けていた。
 パッと見いつもとかわらない。それでも長年のつきあいで周防にはわかる。十束はなんだかソワソワしている。

「………おまえもなんかあんのか」

「えっ、その、いやあ、なんでもないよ」

 さっきの草薙の返答とまったく同じ毛色の返答。隠すのが下手な連中ではないから、きっとどこか周防に訪ねてほしいと思いながらの反応なのだろう。
 ―――めんどくせぇな。
 草薙と十束の思惑にはまるのも悪くはないと思ったが、今の自分にそれほど興味のそそられる話が舞い込んでくるとも思えない。訪ねる労力と得られる期待を天秤にかけて、周防は前者を取った。

「え、ちょっとキングどこいくの」

「外で食う」

 そう短く答えて席をたつと、とことこと音がしてコートをもったアンナがよってくる。
 コートを差し出してじっと無言で見上げてくる瞳に有無を言わせないものを感じて、

「…いくか?」

 と訪ねると、

「いく」

 コンマ1秒でこくりとごくわずかにうなずいて、周防が着込んだコートの端を握る。

「あっ、アンナ連れてくんだったら夜遅くなるなや!」

 その言葉に答えるのも面倒で片手をあげてドアをくぐった。アンナはそっと肩越しに振り返り小さく「いってくるね」とつぶやくと、小走りに周防を追ってでていく。
 ふたりがでていって、閉まったドアを見つめながら草薙と十束は、

「…いえへんよなあ」

「…いえないねえ」

 と二人で苦笑い気味にため息をつくことしかできなかった。



 そんなこんなで、周防はアンナを連れて寂しい路地裏をどこか適当な飲食店に向かって歩いていた。
 アンナがいるため、居酒屋に入り浸ることはできないし、あまりに適当なものを食べさせるとあとで草薙がうるさい。来るかと聞いて連れてきてしまったが、これはいろいろと制約がおおいのではないかと少し心の中でため息をついてしまった。

「………ミコト」

「…あ?」

 とてとてと黙って歩いていたアンナが不意に立ち止まったため、周防のコートの裾が引っ張られて自然と足が止まる。
 いきたい店でもあるのかと左斜め後ろ下方にいるアンナを見やれば、アンナはまっすぐに視線を路地の左側へ続く、小さな路地の先へと向けていた。

「どうした」

「こどもがいる。おとこのこ」

 すっと左手をあげて指さした横に延びていた小さい路地の先には、小さな公園のような―――お情け程度に遊具が2つ、3つあるだけの小さな広場のような場所―――があった。この町に住み着いて久しいが、このような場所があるのは知らなかった。
 だが、周防がいくら目を凝らしても、その公園で遊んでいるこどもがいるようには見えない。

「ひとりぼっちでかわいそう」

 「親がいんだろ」見えないのをいいことに適当なことをいう。この時間帯なら親がいようがいまいが遊んでいるのはふつうのことではないが、めんどうくさいのでつっこまない。そのまま歩き始めようとアンナを促す。「いくぞ」

「いない。かわいそう」

「あぁ? おい、アンナ」

 握っていた周防のコートの裾をぱっと離すと、たたたと暗い路地を公園のようなところ目指して駆けていってしまった。

「ったく…」

 こういうとき、性別も年もまったくちがうアンナの行動原理は周防には理解できなかった。放っておくわけにもいかず、アンナの後ろ姿が闇に紛れる前にのろのろとその後を追った。

「………おい」

 周防がその公園のような場所にたどり着くと、アンナは小さなトンネルのような遊具の入り口にしゃがみこんで、中を見つめていた。
 後ろからきた周防を振り返ると、そのまま前に向きなおって小さな声でしゃべりかけた。

「ひとりなの?」

「な、なんだよおまえ、だれだよ」

「さむくないの?」

「………さむい」

「でてきなよ」

「………ヤダ」

「なんで?」

「っあーもうなんだよ!ほうっておけよ!」

 その声の主は、どうやらまだ少年のようだった。アンナと同じくらい高い声だが、うまく呂律がまわっていないようで、どこか舌っ足らずだ。
 ふたりのこどもの声が押し問答のようなものを続けている間、周防はポケットに手を突っ込んで何をいうでもなく突っ立っていた。
 かんしゃくのようなものを起こした少年の声が途絶えたっきり、しーんとあたりは静まりかえる。これでアンナの気もすんだだろう、と勝手に判断した周防はくるりと振り返りそのままもともとの目的であった飲食を果たしにいこうと足を踏み出したとき。

「…ミコト」

 くいっとまたコートの裾が引っ張られて、なんだと振り向けばまた無言で見上げてくるアンナがいた。
 くいくい、と引っ張ってからトンネルの遊具の入り口を指さす。それが意味することを理解してしまって、してしまったからにはアンナは実行するまでここを離れないであろうということも確実で、吐き出しそうになったため息をこらえて「わかった」と吐き出した。
 周防が了承するとアンナはすっとトンネルの入り口から一歩離れて、スペースをあける。周防はそこまで進み出て、しゃがみ込み、おもむろにトンネルに手を突っ込んだ。
 中で「ひっ」という声がしたがそれにかまわず手に触れたものを握りこみ、引きずり出す。

「うわあっ」

 周防が引き上げた手にはどうやらこどものきていたガウンの襟首が引っかかったようで、ぶらーんと両手両足をたらした子供がおそれおののいた目で周防を見上げ呆然としている。

「え…なに…誰、オッサいたぁっ!?」

 オッサンという単語が聞こえそうになったため周防はパッと手を離す。こどもはそのまま地面に尻餅をついた。
 アンナはそんなこどもに近づいて「だいじょうぶ?」と訪ねているが、こどものほうはアンナより周防のほうに敵意のようなもので意識が奪われていて、少し涙目のまま見上げると、

「ってーな!なにすんだよオッサいったぁ!?」

 またもやオッサンという単語でかみついてきそうだったため周防はこどもの頭をガッとつかんで持ち上げる。「ぎゃあああ」と二回目はさすがに状況を把握したのか宙に浮いた手足をバタバタしだして泣きそうであるし、アンナがとなりでとがめるような視線で見上げてきたため無事着地させてやる。

「どうしてひとりなの?」

「………が、仕事だから」

 そのこどもがうつむきながらぼそぼそとこぼした言葉は、同じ目線にいるアンナでも聞き取れないような小さなもので、かなり上方からふたりのこどもを見下ろしている周防には聞き取りようのないことだった。

「お母さん?」

「…そーだよ。…なに、おまえら」

 こんな夜更けにこんな人気のない公園で見ず知らずの人間に襟首捕まれぶら下げられて、それでも態度だけはまっすぐつっかかってくる、気のつよい少年だった。たぶんアンナという少女がいるからか警戒も少し薄れているのだろう。

「アンナ」

 自分の名前を一言発したアンナに、それはなんの自己紹介にもなってねぇよと周防は突っ込もうかと思ったが、自分から改めて紹介する気もないのでやめた。
 少年は「ふーん」とわかってるんだかわかってないんだかよくわからない返事をして、視線をアンナから周防に移す。完全に警戒する猫の目をしている。
 アンナは周防を指さして、

「ミコト」

 とまたひとことで紹介を完結する。
 またもや「へえ」とわかっているんだかいないんだかよくわからない声を漏らして、視線をアンナに戻した。
 アンナが促すようにじっと見つめると、少年は一瞬うっとのどを詰まらせて、それから左右にきょどきょどと視線をめぐらせて、またアンナに視線をもどして、

「………タケル」

 と、小さな声でつぶやいた。
 その声にアンナは満足そうに(といっても普段とほとんど変わりはないが)うなずいて、じいっとタケルを見つめた。
 アンナの視線の直撃を受けて、タケルはこんどこそうぐっとうつむいてしまった。心なしか頬が赤らんでいるのを周防は見止めて、思わず眉根を寄せてしまう。ちょっとした親心である。

「タケル。おなか減ってる?」

「減ってない」

「減ってる」

「〜〜〜もう、なんなんだよっ」

 そうやってまったく進まない会話をアンナとタケルが続けている間に、周防はすることもないのでタケルのことを観察することにした。
 自分の足の長さもないほどの背丈に、すこし着古したガウン、そのなかに厚手のトレーナー、下は子供用ジーンズにスニーカー。まったくもってふつうの子供だ。この鎮目町はあまり治安のいい町ではないのに、こんなふつうのこどもが一人でうろついているのは確かに不思議な感じがした。
 けれど、周防には関係のないことだ。
 この会話にさっさと見切りをつけて、アンナをつれて店に戻ろう。疲れた。

「ミコト」

 周防がそう判断した直後、アンナから声をかけられて、思わず「ああ?」という声がでる。
 周防の不機嫌そうな返答にタケルは一瞬びくりとしたものの、さすがのアンナは動じもせずに爆弾発言を繰り出した。

「タケルとごはん一緒にたべる」

「はぁ?」

 少し予想はしていたものの、アンナが実際にそう言い出すことは絶対にありえないだろうと予想していたそのことが、まさに現実になった瞬間だった。



 周防尊がこどもを二人つれてファミレスでご飯を食べている。
 その日鎮目町を巡回中であったセプター4の隊員が本部に伝えたその一文は、のちに様々な波紋を呼んだのだが、それはまた別の話である。

「タケル、何食べる」

「いや、おれ、もう夜ごはん食べたし」

「ハンバーグ?」

「すげえ、なんでわかんの?」

 周防は、ファミレスのソファに寄りかかりながら、どうしてこうなったと深いため息をついた。
 目の前には、色とりどりのメニュー表をひらいてこれがいいあれがいいだの言い合うこどもふたり、しかも片方は数分前に出会ったばかりのこどもだ。
 どうしてアンナがそこまでタケルのことを気にかけるのかが周防には理解できなかったが、見ているとなんとなくわかるものがある。
 アンナは自分より年下のタケルがひとりぼっちなのを放っておけなかったのだ。
 この鎮目町において、ほとんどの子供という子供は完全なる親の保護下にあって、間違っても夜そのへんを出歩くということも、アンナの―――吠舞羅のそばに出現するということもありえない。だから、自然とアンナの周りは自分より年上のものしか存在しない世界だった。
 そこに自分より年下のタケルがひとりぼっちで現れた。
親は仕事だといっているから存在はするのであろうが、いま、この場所でひとりぼっちということをアンナは気にかけてしまった、のだろう。

「ミコトは何たべる?」

 ぼーっとふたりのこどもを眺めていたら、アンナがじっとみつめながらメニューを周防のほうへと向ける。
 目の前に現れたカラフルすぎるメニューをみて辟易し、ためいきをついて「いらねえ」と短くいえば、「わかった」と潔く引き下がる。

「タケル、いつもひとりなの?」

「………ん。でも、へいきだよ。きょうはちょっと、外であそんでなかったから、あそびたくて、でてきただけ」

「ひとりじゃあぶないのに」

 タケルはアンナに間髪入れずにそういわれて、言葉に詰まったようだった。

「っ…アンナだって、こんなオッサいってぇ!」またもやオッサンという単語が聞こえそうになったため、メニューの背表紙を頭へ落とす。恨めしげな視線を周防に向けたまま、タケルはぼそぼそと続けた。「…へんなやつとふたりでであるくのとか、あぶないだろ」

「ミコトはへんなひとじゃないから、平気」

「………ふぅん。ちちおやかなにかかよ」

 そういったときのタケルの表情は、周防からみてもなにか穏やかではないものを感じで、思わず訝しげな顔になってしまう。
 アンナもそれを思ったのだろう、こてりと首を傾げる。

「ちがうけど。なんで?」

「いや、ちがうなら、いい、けど。…っていやよくない!なんでホゴシャでもないのにいっしょにいんだよ!」

「保護者だよ」

「えっ」

 そうなの?とタケルは拍子抜けした様子で周防を見る。
 周防は無視しようと決め込んだが、アンナがタケルの横で期待ともなんともいえない視線を向けているのをみつけてしまって、

「…そんなもんだ」

 とそっけなく答える。

「お母さんは仕事だっていってるけど、お父さんはどうしたの」

 いつのまにそんな会話をしたのだろうと周防は思ったが、きっとぼそぼそ言い合っているときにでもしたのだろうと納得して、そのまま黙っていた。
 アンナは何気ない口調で訪ねたが、訪ねた瞬間タケルの肩が強ばったのを、周防もアンナも見逃さなかった。

「いない」ぽつりとつぶやいたあと、タケルは自分で確認するかのようにもう一度つぶやいた。「…いないよ、そんなん」

「………そっか」

 答えたタケルの態度でこれ以上触れてはならないとアンナは察したのだろう、短く返すと会話がとぎれた。タケルはタケルで、ふてくされたような顔をして、注文が終わったにも関わらずメニューをにらみつけている。
 そのときのタケルの顔が、周防の心の裡にいる誰かの面影ににている気がして、不覚にも瞠目した。
 こんなときに思い出すとか、なにやってんだと自分をあざ笑う。それをごまかすように懐からタバコを取り出したものの、いま自分のいる場所がファミレスであり、目の前にはこどもがふたり、という状況を思い出して舌打ちをこらえながらポケットに突っ込みなおした。
 そんなこんなしているうちに「おまたせしましたっ」という明るい声とともにウェイトレスがやってきて、アンナとタケルの前におそろいのお子さまランチをおいていった。
 色とりどりの野菜とオムライスとプリン…と、まさにお子さま用のプレートを見ていると、タケルと目が合った。
 タケルは周防からプレートに目を落とし、すこし逡巡したあと、ずっとプレートを周防のほうへ追いやり、

「おれいいよ。みことが食べなよ」

 と目もあわせずにいった。
 そんなタケルの行動に周防とアンナは一拍反応が遅れてしまう。

「いらねえっつってんだろ」

 いつから名前呼びになった、と内心突っ込まざるを得なかったが、そういえば名字は名乗っていないと合点がいって、とくに触れずに皿だけをタケルの方へと押しやった。

「っていうか、おれ、いまおかねもってないし…」

 はじめてシュンとした態度を示すタケルに、そっちが本心かよ、と周防は内心しかめ面をした。
 この流れでこんな小さなこどもに代金を請求するような大人だと思われていたのだろうかと。

「気にしてんじゃねぇよ、ガキが」

 さっきまでの殊勝な態度はどこへ消え去ったのか、俯いてもごもごしている。「でも、………が、」

「あぁ?」

 聞き取れず発した返す言葉だったが、それは幼いこどもにとっては威嚇のような意味の響きを伴ってしまったようで、さらに深く俯かせる原因となってしまった。
 黙り込んだタケルの肩にアンナがそっと手を置いて、

「タケル、冷めちゃうから食べよう。もったいない」

「…ていうかアンナ、おれ、よるごはんもう食べたって、いったじゃん…・」

 タケルはそっと撫でてくるアンナを恨ましげな瞳で見上げる。

「でもおなか空いてるでしょ」

 そう微動だにしない表情でアンナが指摘した瞬間、きゅうう、と控えめな音がタケルの腹から響いた。
 瞬間、バッと自分の腹部を押さえたタケルが、そろそろとアンナの様子をうかがう。

「う、な、なんでわかんの…」

「いいから食えつってんだよ。食ったら帰んぞ」

 そう言い切ってしまうとタケルはもう反論できなかったし、アンナはぱくぱくと食べ始めたので、それにつられるようにタケルもおずおずとフォークを手に握った。



 タケルが示した場所は、なんの変哲もない二階建てのアパートだった。高級なわけでもないが、廃れているわけでもない、こぎれいという形容が一番似合いそうな、現代では珍しいオートロックではないアパートだ。
 その建物の二階の一番奥の部屋の扉の前で、首からさげた鍵を取り出したタケルが扉を開けながら二人を振り返った。
 そのタケルの視線を受けて、アンナはすこしだけにこりとして手を振った。

「またね」

 また、があるかどうかなんてわからない。むしろ、周防とアンナの所属するテリトリーを思えば、また、なんてことはない方がいいに決まっているのだ。
 それでもアンナはそういわずにはいられなかったのだろう。きっとそれくらいに、ひとりぼっちのタケルに情が移ってしまっている。

「うん、ばいばい」

 そういってタケルが小さく手を振り返してドアが閉まった瞬間、きゅっと自分の手を握っているアンナの力が強くなった気が、した。
 コートを握っていた行きとは違い、アンナは周防の手を握ったまま、帰り道を歩いていた。いつものように、ふたりの間には会話はない。
 もうすぐで、バーにたどり着くという時だった。
 ふと周防の手がごくわずかな力で引っ張られて、周防はアンナへ視線を落とす。アンナがめずらしく周防から視線をそらして、ひたすらに歩む道を見つめているので、若干の違和感を覚えた。

「………タケルは」

「あ?」

「………なんでもない」

 ―――今日は周防が何かを訪ねると、悉く「なんでもない」と返される日だった。

20130114 織間
いまさらですが、こどもの名前が固定ですみません。あとヒロインと尊さんが絡まなくてすみません。アンナちゃん夢かよ、みたいな感じですみません。すみません…。